【高論卓説】人ごとではない東芝の断末魔

産経新聞社が発行する日刊紙「フジサンケイビジネスアイ」のコラムに3月15日に掲載された原稿です。オリジナルページ→http://www.sankeibiz.jp/business/news/170315/bsg1703150500007-n1.htm

■海外企業コントロールする経営力が欠如

 東芝が14日に予定していた決算発表を再延期した。原子力子会社のウェスチングハウス・エレクトリック(WH)で見込まれる巨額損失の見積もりなどをめぐって監査法人と折り合いが付いていないもようだ。というよりも、WHが結んださまざまな契約に伴うリスクを東芝の経営陣がきちんと把握できていないように見える。

 「どっちが親会社か分からない態度で、腹立たしく思うこともしばしばありました」と、東芝原子力部門で働くエンジニアは振り返る。東芝はWHを2006年に6000億円を投じて買収、傘下に収めた。しかし、当初から東芝本体の経営陣にはコントロールできず、役員の間から「まるで独立王国のようだった」と振り返る声も上がる。もともとWHは、東芝がWHの原発技術が欲しくて買収した。そのWHの経営陣に足元を見透かされているかのようだった、という。

 巨額の損失を生み出す原因となっている米国の4基の原発についても、東芝の経営陣は東芝本体の決算で表面化させない「つじつま合わせ」ばかりに気を配っていた。その結果、東芝にとって不利になる契約や買収を次々にWHが実行するのを許していった。一部のメディアはそれを東芝の経営陣はWHに「だまされた」と表現している。

 仮に、子会社の経営者にだまされたとして、それを唯々諾々と受け入れた親会社の経営陣は許されるのか。要は海外企業をコントロールするだけの経営力が圧倒的に不足していた、ということではないか。

 実はこの問題は東芝に限ったことではない。日本企業による海外企業の大型買収が相次いでいるが、きちんと融合した企業グループを形成して、一体のグローバル企業として経営できているところはごく一部だ。ほとんどのケースでは、傘下に置いているものの、WH型の「独立王国」であることを許している。

 それを「連邦経営」とか「独立性の維持」とか言って、むしろ良いことのように説明している。出資比率が2割ぐらいなら、投資と割り切って「独立王国」を許すのもいい。だが、連結子会社となれば、その企業が問題を抱えれば、すべて親会社の責任になってくる。それが連結経営というものだ。東芝もWHの原発事業に親会社として保証しているが、保証の有無にかかわらず、傘下に収めた以上、経営責任は親会社にある。

 1980年代後半、バブルの勢いにのって日本の老舗企業が欧米の大企業を次々に買収した。結果はどうなったか。その後のバブル崩壊もあり、「死屍累々」で撤退したものも多い。結局、グローバル企業をコントロールする経営力が圧倒的に欠如していたのだ。結局、日本企業は高い授業料を払ったその頃の経験をほとんど学んでいない、ということではないか。

 東芝の断末魔は日本企業の経営のお粗末さを示している。決して東芝特有の問題だと考えるべきではないだろう。