司法取引で会社が社員を「売る」時代に 誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる

日経ビジネスオンラインに7月27日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/072600073/

 会社が社員を「売る」という驚きの第1号となった。

 日本にも導入された「司法取引」が初めて適用された事例のことだ。タイの発電所建設をめぐる贈賄事件で、東京地検特捜部が大手発電機メーカーである三菱日立パワーシステムズMHPS)の元役員ら3人を、外国公務員に贈賄した不正競争防止法違反の罪で在宅起訴したのだが、MHPSは法人として起訴されるのを免れるために「司法取引」し、元役員らの不正行為の捜査に協力したのだという。

 元役員らは建設資材の荷揚げに絡んで、タイの港湾当局の公務員に約3900万円の賄賂を支払ったとされる。内部告発をきっかけに社内調査を進めたMHPSが不正を把握。会社自らが東京地検特捜部に申し出て、捜査に協力した見返りとして、不正競争防止法による会社への刑事訴追を免除された。会社が訴追されれば、多額の罰金を科される可能性があった。

 もともと「司法取引」が導入された目的は、企業や組織の犯罪捜査で、社員などを免責する代わりに「巨悪」をあぶり出すことにあった。社員などに責任を押し付けて、会社や幹部が逃げ切ることを避けるのが狙いだ。ところが、この第1号案件では、会社という法人組織を守るために、役員個人が処罰されるという想定とは逆の「取引」になった。会社を守るために個人を犠牲にする形になったのである。

 さっそく日本経済新聞は社説で、「この取引は腑に落ちない」と疑問を呈した。「証拠が得にくく、摘発例が少ない外国公務員への贈賄行為を立件したという点では、制度は一定の役割を果たしたと言えよう」と評価する一方で、司法取引の結果、会社が訴追を免れ、個人だけが刑事責任を負う形になったことに割り切れなさを感じたのだろう。

 賄賂を渡す指示をした役員らは、「会社のため」に罪を犯したのであって、「個人の利益」を求めたわけではない。会社もそれが分かっているから、厳しく罪を追及することはない。仮にバレて逮捕されても、会社は生活の面倒ぐらいはみてくれる。日本には伝統的にそんな考え方があった。社会も「会社のため」に働いた罪には寛大だった。

会社ぐるみの贈収賄は、懲罰的な罰金の対象に
 かつて、総会屋と呼ばれた特殊株主に、株主総会を平穏に終わらせるために金品を渡す企業が少なからずあった。バレて逮捕・起訴された総務担当役員が、ほとぼりがさめると、関係会社の顧問などとして面倒をみてもらうケースがあった。「会社のため」に働いた犯罪だから、個人を裁くのは気の毒だというムードがあった。逆に言えば、会社が最後まで面倒をみてくれる、という確信があるからこそ、「会社のため」に罪を犯すことも辞さない社員が存在してきたと言える。

 それだけに、今回の司法取引は、衝撃的だったと言えるだろう。

 MHPSが役員らを「売って」まで、贈賄の罪を自白した背景には、贈収賄を巡る国際的な罰則強化の流れがある。会社ぐるみで贈賄を行ったとなると、国際的に痛烈なバッシングを受ける可能性があるのだ。

 日本企業が海外での贈収賄に神経を尖らせ始めたのは、2011年に英国で贈収賄防止法が施行されたのが一つのきっかけだった。もともとは米国で1972年に起きたウォーターゲート事件の調査をきっかけに、多数の米国企業が外国公務員に贈賄をしていたことが判明。1977年に、海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt Practices Act、FCPA)が制定された。

 1997年には国際商取引での外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約が発効し、日本を含む41カ国が批准。日本は、1998年に不正競争防止法に、外国公務員等に対する不正の利益の供与等の罪(18条)を新設した。

 日本も国際的な腐敗防止の流れに沿った対応を進めてきたわけだが、日本企業が本気で危機感を持ったのは、米国や英国が法律の「域外適用」に乗り出してきたためだ。米国内に支店や事業拠点があれば、その企業がアフリカなどの第三国で贈賄を働いても、米国法で摘発することができる。もちろん、日本企業が賄賂で仕事を取っていけば米国企業が損害を被るという理屈がある。

 アングロサクソンはそうした「アンフェア」な行為に対して強く反発する国民性をもっている。摘発されると懲罰的な罰金として巨額の制裁金が科される、そんな例が相次いだのだ。

 贈収賄と同じく「アンフェア」な犯罪行為として英米が激しく批判するのが、カルテルや談合といった独占禁止法違反だ。国際的なカルテル行為があったとして日本企業が摘発され、千億円規模の制裁金が科されるケースも頻発している。

 企業が罰金を支払うだけでは済まず、実際にカルテルを働いた社員なども摘発されている。夏休みに日本からハワイに行き、米国に入国した途端に逮捕され、裁判にかけられるといったドラマ張りのことが起きている。米国の刑務所には有罪になった日本人ビジネスマンが数十人収監されているとされる。

日本の雇用慣行を変える分岐点に
 日本では、談合やカルテルなど独禁法違反事件が後を絶たない。東海旅客鉄道JR東海)のリニア新幹線建設工事でも、大手ゼネコン役員らの談合が摘発された。建設会社の社員の中には、まだまだ、談合は必要悪だという意識が残っている。談合を行う社員の側も「会社のため」ということで、罪の意識も薄いというのが実態なのだ。

 「会社のため」に犯罪も辞さないという発想は、欧米の社員の間にはまずない。会社のために自分を犠牲にするという考え方がそもそもないうえに、まして犯罪を手を染めるということに何のメリットも見出さないのだ。欧米企業の不祥事などは、個人が自分自身の利益を追求する形の犯罪がほとんどだ。罪を犯すのは自分の利益のためで、会社のためというのはあり得ないわけだ。

 会社が社員や役員に「会社のため」に犯罪に手を染めることを求めることもまずない。社員が罪を犯すことを厳しく監視し、問題があれば、会社が個人を告発するケースは少なくない。カルテルなど独禁法違反については、絶対に手を染めないという誓約書を書かせている企業も多い。会社のために行ったというのを理由に犯罪行為が許されたり、軽くみられたりする社会的なムードはない。

 そういう意味では、今回の司法取引は、日本の会社と社員の関係を劇的に変える分岐点になるかもしれない。「会社のため」に行った贈賄を、会社に告発されるとなれば、もはや誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる。

 日本で「会社のため」が通ってきたのは、終身雇用が前提の雇用制度だったからだとも言える。いったん採用されれば、定年まで面倒をみてもらえるという「信頼感」が、会社に滅私奉公するムードを生み、「会社のため」というカルチャーを成り立たせてきた。

 安倍晋三内閣が進める「働き方改革」は、多様な働き方を認めることを一つの柱とし、副業や複業を後押ししている。人口減少による人手不足が今後ますます深刻化する中で、人材の流動化が進むことになる。そうなれば、終身雇用制度や年功序列賃金、新卒一括採用といった日本型の雇用制度は大きく崩れていくことになる。

 働き手が多様な働き方を求めるだけでなく、企業も新卒者を雇って生涯雇用し続けることに限界を感じ始めている。もはや会社は無条件で社員を守らないということが鮮明になった今回の「司法取引」は、日本の雇用慣行の崩壊を如実に物語っているのかもしれない。