増え続ける「過労自殺」 労働時間削減だけでは解決しない

月刊エルネオス8月号(8月1日発売)に掲載された原稿です。
http://www.elneos.co.jp/

長時間労働の改善など「働き方改革」の必要性が強く叫ばれるきっかけになったのは、大手広告代理店「電通」の新入社員、高橋まつりさんの自殺が、長時間労働に伴う過労によるものだったと労働基準監督署から労災認定され、世の中に知れ渡ったことだった。高橋さんの月の残業時間は百五時間を超えていた。
 今国会で成立した「働き方改革関連法」では残業時間に罰則付きの上限が設けられ、繁忙期の特例で許される上限が月「百時間未満」となった。高橋さんを自殺に追い込んだような残業は明確に「法律違反」になったわけだ。
 ではこれで、精神的に追い込まれて自殺するような「過労自殺」は減るのだろうか。
 七月六日に厚生労働省が二〇一七年度の「過労死等の労災補償状況」をまとめた。これによると、「精神障害等」で労災を申請された件数は一千七百三十二件と前年度に比べて百四十六件、率にして九・二%も増加した。そのうち、未遂を含む自殺による請求は、前年度比二十三件増の二百二十一件と、一割以上も増えた。
 データで見る限り、過労自殺は減っているどころか、むしろ増加傾向が続いているのだ。労災申請されるのは氷山の一角だという指摘もあり、日本の会社における「過労自殺」は重大問題になっている。
「過労死」に関わる労災申請は、かつては脳疾患や心臓疾患などによる申請が多かったが、今は「精神障害等」が圧倒的に増えた。一七年度は「脳・心臓疾患」による申請は八百四十件だったので、「精神障害等」はその二倍以上だったことになる。「メンタルをやられた」社員は一般的な大企業なら全社員の五%くらいは存在するといわれる。しかも、人手不足で仕事が忙しい現在、その比率はどんどん上がっているとされる。

パワハラや仕事が増えて「メンタルをやられる」
 労災申請してもすべてが「認定」されるわけではない。労災認定されるには業務との因果関係が重視されるなどハードルが高い。月に百時間を超えるような長時間労働の末に精神障害になれば、多くが認定されるものの、長時間労働がなければ、なかなか労災とは扱われない。それでも、一七年度の精神障害での労災認定は五百六件と、前年度より八件増えた。中でも未遂を含む自殺が九十八件と、前年度に比べて十四件も増えており、職場のストレスによる自殺が労災認定されるようになっている。
 精神を病んでしまう社員が受けるストレスは、必ずしも「長時間労働」によるとは限らない。支給決定された案件では、精神障害に結びついたと考えられる「出来事」も調査されている。それによると、「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」が八十八件、「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」が六十四件と目立った。前者はいわゆる「パワハラ」がストレスの原因だったということだろうが、後者は仕事を与える上司からすれば「当たり前」と考えがちだ。忙しくなって仕事が増えたり、配置転換で仕事が変わるのに対応できないのは社員の能力に問題がある、と捉えられてしまうケースが少なくない。
 総合商社やメガバンクなど人気企業でも、激戦を勝ち抜いて入社した新入社員が「メンタルをやられて」会社を休む人が少なくないという。仕事が覚えられなかったり、終わらせることができなかったりするのは、自分の能力に問題があるのだ、と自身を責めてしまう。ところが世の中の流れで残業はするなと言われるため、こっそり自宅に持ち帰って仕事をしている若者も少なくない。自分で自分を追い込んでしまい、最後はノイローゼになってしまうというのだ。
 そんな職場に限って、上司には猛烈社員として勝ち残った人がいて、「今の若い奴は甘ったれている」といった対応をする。いわゆる「クラッシャー上司」だ。こうなると、労働時間を規制するだけでは、精神を病む働き手の数は減りそうにない。

高付加価値事業とやりがいで本当の「働き方改革」を
 今回の厚労省の集計を見ても、「精神障害」で労災認定された人は、必ずしも長時間労働の人だけではないことが分かる。「百時間以上百二十時間未満」が四十一人、「百六十時間以上」が四十九人と、長時間労働での認定者が少ないわけではもちろんないが、残業「二十時間未満」での認定者が七十五人と最多になっている。時間区分と認定者数を見ると、ほとんど労働時間との相関はない。
 安倍晋三内閣が「働き方改革」を掲げたのは、少子化で労働力が減る中で、一人一人の生産性をアップさせなければ、経済力を維持できないという危機感からだった。つまり、どうやって効率的に付加価値を生み出すかを考えることが「働き方改革」だったのだが、職場が深刻な人手不足に陥っている中で、慢性化している長時間労働をどう抑え込むかに焦点が当たった。
 今後、人口減少が鮮明になってくる中で、ますます人手は足らなくなる。そんな中で、労働時間を抑え、付加価値を生み出すには、「無駄な仕事はしない」ことが重要になる。無駄な仕事とは、付加価値を生まない低採算の事業だ。低付加価値事業をやめ、高付加価値事業にシフトしていくのが本当の意味の働き方改革で、これは経営者が決断して実行しなければならないことだ。
 もう一つ重要なのは、社員にやりたい仕事をやらせること。自らの仕事にやりがいを見出していれば、忙しくても、そう簡単に精神障害に追い込まれることはない。欧米企業のようにジョブ・ディスクリプションを明確にし、自分の意思で仕事を選び、その道のプロとしてスキルを磨くことが重要になる。
 そうなると、これまでの日本型の人事制度では対応が難しい。新卒一括採用で、仕事内容は入社してから会社が決める。辞令一枚でどんな仕事にもどんな勤務地にでも送り込める。いわゆる「メンバーシップ型」と呼ばれる日本の雇用の仕組みと目指すべき職場は対極にある。おそらく、こうした日本型の仕組みを変えない限り、不本意な仕事に配属され、精神的に追い込まれる社員は減っていかないだろう。過労自殺を減らせるかどうかは、そんな本当の「働き方改革」に突き進めるかどうかにかかっている。