デザインの力で地域の一次産品に命を吹き込む

Wedge(ウェッジ)10月号(2019年9月20日発行)掲載の「Value Maker」です

 

Wedge (ウェッジ) 2019年10月号【特集】再考 働き方改革

 ラベルに描かれたゆずの絵の上に「ゆずの村」と筆書きされたポン酢しょうゆをご存知だろう。高知県馬路村の農協が1986年に売り出して大ヒット、今も百貨店や高級スーパーなどを中心に売れ続けている。このデザインも梅原さんによるものだ。

 ラベルでまず目に飛び込んでくるのが「ゆずの村」、次いで「馬路村」。「ポン酢しょうゆ」は目立たない。そう、この商品のデザイン・コンセプトは、ポン酢を売ることだけにあるのではなく、馬路村を「ゆずの村」として売り出すことにあった。人口900人の馬路村は、今ではすっかり、「ゆずの村」として全国に知られわたった。「ゆずの村」関連商品の年間売上高は20億円を超える。

 

デザイン=経営資源

  デザインによって商品の価値を消費者に伝えるだけでなく、デザインがその商品の付加価値を高めていく。梅原さんが言う「コミュニケーション・デザイン」の要諦だ。商品そのものだけでなく、商品を生み出す地域の魅力を伝える。地域おこしの成功には、「デザインの価値を経営資源として認めることが第一歩です」と梅原さんは語る。

 「ゆずの村」が大ヒットしたころ、梅原さんは高知県西部の十和村(現・四万十町十和)から「総合振興計画」の策定にアドバイスを求められた。高知市内から車で2時間。愛媛県境に近い四万十川中流の中山間地にある村だった。林業の衰退で落ち込んだ村をどう立て直すか。「村の人は口を開けば、『何もない』と言っていた」と梅原さんは振り返る。

 国のおカネで、木造の校舎を潰して新しいプレハブ校舎に建て替えたり、沈下橋を壊して鉄橋を造る。それが「振興策」だと当時の村人たちは信じて疑わなかった。梅原さんから見れば十和には何もないどころか、四万十川の自然の恵みが豊富な素晴らしい土地だった。

 ちなみに、沈下橋とは河原に架けられた石やコンクリート製の欄干もない簡素な橋で、大雨で四万十川が増水すると、水面下に「沈下」し流されないように作られている。自然に逆らわないこの地方特有の橋で、今残る48本は、多くの人が訪れる地域の観光資源になっている。

 梅原さんが作った総合計画は一風変わったものだ。タイトルは「十和ものさし」。流木にメモリを付けた写真を載せた。そしてこんなメッセージが書かれている。

 「自然が大事、人が大事、ヤル気が大事」。

 梅原さんは言う。「地域の総合計画は国や県からのお仕着せがほとんど。自分の考えを持て、というのが最も言いたかったことです」

 実は、梅原さん。村内の沈下橋が壊される計画を知って、沈下橋で渡った対岸に家を借り、3年半にわたって住んだ。沈下橋が将来に残すべき村の財産だと思っての行動だった。

 そんなある日、沈下橋を渡ってひとりの青年が梅原さんを訪ねてきた。畦地履正さん。当時26歳。農協の職員で貯金を集める担当だった。梅原さんは畦地さんとの出会いを貯金集めに来た「偶然」と言うが、実は畦地さんは地域おこしについての梅原さんの講話を聞き、心酔していた。仕事を理由に会いに行ったのだった。

 この出会いが、四万十を舞台に、梅原さんのデザインを、畦地さんが形にし、全国に売り出していくという役割分担を生み出していくことになる。

 「畦地に農協なんぞ辞めてしまえと言ったら、本当に辞めてしまったんです」と梅原さん。その後、第三セクター(現在は完全民営)だった「四万十ドラマ」の職員として採用された畦地さんは、梅原さんの描くデザインをひとつひとつ実現していくことになる。

 梅原さんのコミュニケーション力、人とつながろうという力は凄まじい。時に強引でもある。

 「あなたの水について原稿を書いてください。お礼は四万十川の天然鮎をお送りします」

 そんな内容の手書きの手紙を一面識もない著名作家らに送ったのだ。22年前のことだ。四万十ドラマの仕事として生まれた「水」の本は、そんな無茶なやり方で始まった。45人に依頼し、18人が引き受けた。無礼だと怒った作家も6人いたという。

 浅井慎平筑紫哲也赤瀬川原平ーー。錚々たる書き手が原稿を寄せた。何もない田舎でも知恵と工夫で日本を代表する人たちの本が作れる。十和の人たちに、やればできる、という突破力を見せ付けることになった。それから3年間、執筆した人たちに四万十川の天然鮎1キロを贈り続けた。

 町民の出資で民営化した四万十ドラマは、地域にできた道の駅の指定管理者となり、十和の品々を全国に発信していくことになる。もちろん、梅原さんのデザインが最大の切り札。それを畦地さんが形にしていった。

 大きく「丸」に「地」のマークを付けた「しまんと地栗」は大ヒット商品になった。それまで栗の名産地向けに出荷されていた「栗」をブランド化し、「しまんと地栗モンブラン」や「ジグリキントン」、「しまんと地栗まん」といった商品に加工したのである。

 加える砂糖を極力抑えた「ジグリキントン」は、東京のデパートで人気商品となり、通信販売でも売れに売れた。丸地マークを付けることで、自然が豊富な四万十の「地」のものであることを強烈にアピールしたのだ。「しまんと地栗」をブランド化することで、栗に付加価値を付けて売るだけでなく、四万十自体を売り込むことに成功した。

 

「ないものはない」

  各地の振興計画などにも梅原さんはひっぱりだこだ。

 「あきたびじょん」という秋田県が作った総合計画も梅原氏がアドバイスした。秋田美人の写真に「秋田びじん」と大書きし、「じ」と「ん」の間に小さく小さく「よ」の文字が入ったポスターは人目を引いた。なまはげの写真に「Any Bad Kids?」と書いたポスターは、「悪い子(ご)は居ねが〜」という秋田弁のなまはげの文句を英語化したもので、世界に秋田の文化が広がっていくきっかけになりつつある。

 島根県隠岐の海士町で梅原さんが打ち出したコピーは、「ないものはない」。都会のように便利ではなくモノも豊富にあるわけではないが、自然や郷土の恵みは豊かで、暮らすために必要なものは十分にある、そんな意味が込められている。

 「水」の本の出版から20年が経ったのを機に、梅原さんは「川」の本を作ることにした。水や川を中心とした自然も、人々の暮らしも大きく変化し、大事なものとは何かが分からなくなった今、もう一度、川について考えてみよう、というのがコンセプトだ。最後の清流とも言われる四万十川を守り、その恵みで町おこしをしてきた梅原さんの社会デザインの原点に戻る企画とも言えた。

 もちろん、面識のない作家に依頼する手法は同じ。三浦しをん養老孟司など著名人32人が原稿を寄せた。