東京・大森で150年 老舗海苔問屋の挑戦

雑誌Wedge 2021年9月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24147

 

 

 「久兵衛」や「東京 吉兆」といった高級寿司店・料亭が決まって「海苔」を仕入れる問屋が東京・大森にある。吉田商店。海苔問屋で修業した初代が独立して東海道沿いに店を開いた1872年(明治5年)から続く老舗で、来年で創業150年の節目を迎える。

 大森と言って海苔を思い浮かべる人は、今や少ないだろう。もともと海に面した豊かな漁場で、江戸時代から続く「海苔」の一大産地だった。東京湾の埋め立てによって、伝統的な海苔養殖は1962年(昭和37年)に幕を閉じ、大森は日本の高度経済成長を支えた工場の町へと姿を変えていった。

 だが、かつての名残りで、大森には多くの「海苔問屋」が存在する。

「今でも70社ほどあって、うち50社が組合に加盟しています。全国では400社ですので、1割以上が大森にあることになります」

 大森本場乾海苔問屋協同組合の理事長も務める吉田商店の古市尚久社長は言う。吉田商店の4代目である。

 海苔の産地ではなくなったにもかかわらず、大森が海苔問屋の中心地であり続けるのはなぜか。

「ひとえに目利き力だと思いますね」と古市社長。「海苔は同じ産地の同じ漁場のものでも、採った日が数日違うだけで品質がまったく変わる。それを職人技で見極めて買い付け、お客様にお届けしています」

 料理にこだわる高級店になればなるほど、脇役の食材である「海苔」の味や香りへのこだわりは強い。

 吉田商店の扱う海苔は他店とは一風変わっている。近年の高級海苔の産地といえば、「有明海産」が圧倒的に有名で、流通量も多いが、吉田商店は三重県の「伊勢湾産」にこだわっている。2代目から続くこだわりで、今は姿を消した大森産の海苔の味の系譜を継ぐものだったことから、吉田商店の扱う海苔はほとんどが伊勢湾産だ。

 海苔の業界で、品質の評価は「色艶第一」と言われる。贈答用の品として重用されてきたことと無縁ではない。江戸時代は将軍家などへの「献上品」だったし、明治以降もお中元やお歳暮の品と言えば「海苔」という時代がつい最近まで続いていた。味や香りも大事だが、見た目が黒々として美しい。それが高級海苔の第一条件だった。

 ところが、伊勢湾産は「ツラが悪い」と業界で言われてきた、という。「しかし、味と香りは抜群なのです」と古市社長。木曽川長良川など巨大河川が流れ込む伊勢湾の海苔は上流の豊かな森の恵みを、味と香りに封じ込めている。中でも河口にある桑名・伊曽島産は絶品だという。有明海の海苔が、色艶の良い優しい香りの海苔なのに対して、しっかりとした味わいの強めの香りを持つ。

 ただし、全国の海苔の流通量のうち三重県産は4%程度、中でも桑名産になると1%ほどしかない。その中で、吉田商店のお眼鏡にかなう伊曽島産などの高級品は0.1%。そんな希少な海苔だけを年に10回ほど買い付ける。「ものを見て買う」のは代々受け継がれる掟だ。大事なのは実際に焼いて食べてみること。買い付けは入札で行うが、納得したものはきちんと高値を入れて落札する。

 

良いものを仕入れて
焼き海苔に加工

 海苔は、海苔漁師が採取して板海苔状に整形乾燥したものを束ねて箱詰めしたものが流通する。箱には産地だけでなく採取した漁場や採取日、等級が書かれている。仕入れた問屋は自社の工場でそれを乾燥させ、焼いて最終製品である焼き海苔に加工、パッケージに入れて販売する。良いものを仕入れるのは当然として、それをどのくらいの温度で何秒焼くかによって、味や香りががらりと変わってくる。

 大森にある吉田商店の工場でも、焼き海苔のラインを持つ。「焼く温度やコンベアーの速度調整は、限られた社員しかできない、まさに職人技です」と古市社長。今は引退したベテラン工場長のアドバイスを受けて新工場長が責任を持つ。

 そんな吉田商品が毎年「特別限定品」として発売する商品がある。『花』という缶入り商品で、その年の最高品質の海苔だけを使う。納得する最高品質の海苔がどれくらい手に入ったかで発売量は変わり、今年は限定300本(八つ切り264枚、全型33枚分)。価格は1万800円(税込み)だ。1帖(全型10枚)あたりざっと3000円ということになる。一般的なスーパーなどで売られている海苔は1帖350円から400円ほどだから、価格もダントツだ。

「伊勢の海苔の格付けで最高のものに『重優上』というランクがあり、数年に一度、さらに上の『技+重優上』という等級のものが出ます。今年はこれを手に入れることができ、商品の『花』と『神楽』に使っています」

 老舗ならではの「看板商品」もある。緑色の缶に入った『碧(みどり)』(八つ切り176枚、全型22枚分。3780円)だ。1929年(昭和4年)に発売以来、同じデザインを使い続けているから、見た記憶のある人も少なくないに違いない。発売当初は大森産を使い、東京名産品として贈答用に大ヒットした商品だが、今は伊勢桑名産の極上海苔を使っている。発売から90年以上続く超ロングライフ商品だ。だが、老舗として伝統を守っているだけでは生き残れない。

 「世界に出せる商品を作りたい」。そう古市社長が考えていた時、気鋭の日本画家アラン・ウエスト画伯と出会う。「商品のための絵を」という依頼を快諾した画伯は大屏風を描く。それを缶に写して『花』を作った。金銀箔に彩られた四季折々の花々が咲き乱れる絵が描かれた缶は、海苔の缶とは思えない斬新さだ。それを渾身の最高級限定品にだけ使用しているのだ。

 伝統を守りながらも常に新しいものに挑戦していく。「悪あがきの連続です」と古市社長は笑う。

 新型コロナウイルスの蔓延で、百貨店が営業自粛を迫られるなど、高級贈答品も大きな影響を受けている。そこでも古市社長が言う「悪あがき」は続く。新型コロナの蔓延から1年余りの間に9つの新商品を出した。それを担ったのが「5代目候補」の長男、古市レオナ氏、29歳。別の会社を経て入社した直後に新型コロナが広がった。

 最高級の海苔を気軽に試せる『神楽』は全型6枚入りにすることで、1620円にまで価格を抑えた。「この後、10年食べられないかもしれない海苔なので、ぜひ多くの人に試していただきたい」とレオナ氏。『STAY HOME セット』と銘打った4種類の海苔のセットも売り出した。もみ海苔やおにぎり用海苔など使い勝手が違うものを組み合わせた。東京のビルのシルエットを配したケースも考案した。「若いので発想が違う。どんどん新しいものに挑戦してもらいたい」と古市社長は目を細める。同じことを続けていたのでは老舗ののれんは守れない。「目利き力」と新しいものに挑戦する「悪あがき」こそ吉田商店の「原点」ということだろう。