岸田首相の言う「ガバナンス改革強化」は「本気」なのか、海外投資家へのリップサービスなのか

現代ビジネスに10月2日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/100530

また岸田首相スピーチの方向性が変わった

「とても大切な政策のひとつは、コーポレートガバナンス改革だ」−−。9月22日にニューヨーク証券取引所で行われた岸田文雄首相のスピーチを聞いて驚いた。岸田首相の口から「コーポレートガバナンス改革」という言葉が出てくるとは想像しなかったからだ。

証券取引所という場所柄を考え、事務方がリップサービスとして盛り込んだのか。あるいは、安倍晋三首相(当時)がロンドンやニューヨークでアベノミクスを表明して投資家の期待を煽り、日本株の上昇に結びつけたことに倣おうとしているのか。いずれにせよ、岸田首相が「本気で」ガバナンス改革を「大切な政策」だと思っているとは信じがたい。

証券取引所という場所柄を考え、事務方がリップサービスとして盛り込んだのか。あるいは、安倍晋三首相(当時)がロンドンやニューヨークでアベノミクスを表明して投資家の期待を煽り、日本株の上昇に結びつけたことに倣おうとしているのか。いずれにせよ、岸田首相が「本気で」ガバナンス改革を「大切な政策」だと思っているとは信じがたい。

というのも、就任以来、岸田首相の正式な記者会見や国会演説では、「コーポレートガバナンス」それに付随する「株主」という言葉は、まったくと言っていいほど使われて来なかった。就任当初こそ、「株主」について何度か触れたが、これは安倍内閣が進めたガバナンス改革が「株主利益偏重」だったものを見直し、従業員への「分配」を増やすべきだという脈絡で語られていた。

例えば、就任直後の2022年10月4日の記者会見ではこんな具合に語っている。

「例えば民間企業において株主配当だけではなくして、従業員に対する給与を引き上げた場合に優遇税制を行うとか様々な政策(中略)が求められると考えています」

さらに10月8日所信表明演説でも、「企業が、長期的な視点に立って、株主だけではなく、従業員も、取引先も恩恵を受けられる『三方良し』の経営を行うことが重要です。非財務情報開示の充実、四半期開示の見直しなど、そのための環境整備を進めます」と語っていた。

ちなみに四半期開示の見直しというのは、四半期決算の開示を企業に求めていることが短期的な業績追求につながっているので、開示を止めるべきだという岸田首相の一部のブレーンの主張に沿っていた。国際的に定着している四半期開示のルールに背を向けるなど、株主や投資家が求める「ガバナンス改革」とはむしろ逆向きに進もうとしていた。

「岸田ショック」からの方向転換

当時、岸田首相が執着していた金融所得への課税強化が報じられるたびに株価が下落し、「岸田ショック」と呼ばれる事態が繰り返された。岸田首相の言う「『新しい資本主義』は社会主義だ」と経営者の一部などから批判されるに及んで、岸田首相の口から「ガバナンス改革」や「株主」という言葉が発せられることはなくなっていった。

「賃上げを通じた分配は、コストではなく、未来への投資です。きちんと賃金を支払うことは、企業の持続的な価値創造の基盤になります」といった具体にレトリックを変える。「株主利益よりも従業員利益へ」という岸田流ガバナンス改革は影を潜め、2021年末あたりからは、「従業員への分配が株主のためにもなる」という主張に変わった。

2022年1月17日の施政方針演説では、「人的投資が、企業の持続的な価値創造の基盤であるという点について、株主と共通の理解を作っていくため、今年中に非財務情報の開示ルールを策定します」と述べていたが、それでも「あわせて、四半期開示の見直しを行います」と付け加えていた。

それ以来、岸田首相の演説や会見からは、ほとんど「ガバナンス改革」という言葉は消えていた。

その方向が変わって来たのが、5月5日にロンドンで行われた演説だった。

「日本経済は、これからも、力強く成長を続ける。安心して、日本に投資して欲しい。『Invest in Kishida』です」と述べたあのスピーチだ。続けてこう述べていた。

「私は、自由民主党政調会長時代、海外投資運用業者の参入を促す環境整備、コーポレートガバナンス・コードの改訂、そして、プロ投資家の要件弾力化等を決定しました。引き続き着実に取組を進めていきます。特に、日本のコーポレートガバナンス改革は、この10年で大幅に進展しましたが、企業の中長期的な価値向上を可能とする改革を更に強力に進めていきます」

本心なのか、アベノミクスへの擦り寄り

「インベスト・イン・岸田」というフレーズが、かつて安倍首相が同じロンドンで「Buy my Abenomics(私のアベノミクスを買え)」とスピーチして喝采を浴びたことを意識していたのは間違いない。しかも、アベノミクスの中で海外投資家に高く評価されたのがコーポレートガバナンス改革だったことを受け、私(岸田首相)が政調会長としてやった政策だ、と言い切ったわけだ。

アベノミクス批判で総裁に選ばれたはずの岸田氏が、アベノミクスに擦り寄って見せたのだ。これが本心なのか、投資家へのリップサービスなのかは分からない。

このロンドンのスピーチでは、まだ、「企業の中長期的な価値向上を可能とする改革」という言葉を使い、いわゆる「株主重視の改革」とは違うというニュアンスを残していた。それが冒頭のニューヨークのスピーチでは、「大切な政策のひとつ」に“昇格”。「近々、世界中の投資家から意見を聞く場を設けるなど、日本のコーポレートガバナンス改革を加速化し、更に強化する」とまで踏み込んだのだ。

かつては円安が進むとドル建ての株価が大きく下がるため、海外投資家が買いを入れてくるケースが多かった。足元の円ドル為替レートが1ドル=145円近くになる歴史的な円安にもかかわらず、海外投資家の買いは入ってこない。

日本取引所グループがまとめた8月の「投資部門別株式売買状況」によると、海外投資家は5300億円も売り越している。先行きまだまだ円安になると見られているためなのか、日本企業に投資魅力がないと判断されているのか。

岸田首相が世界の投資マネーを運用する投資家たちに秋波を送るのも分かる。だが、これまでの岸田首相の言動や経済政策の方向性を見ている投資家が、岸田首相が「本気で」、株主利益の拡大につながる「ガバナンス改革」を進めようとしているのか、まだまだ確信が持てずにいるのだろう。