「満室御礼」を喜んではいけない…外国人観光客を増やすうえで旅行業界が勘違いしてはいけないこと 経営者は「最大限の値段」で注文をとるべき

プレジデントオンラインに10月7日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/62388

円安はもはや追い風ではない

円安が収まらない。

9月22日に1ドル=145円を突破したタイミングで政府・日銀は24年ぶりの為替介入を実施、いったんは1ドル=140円台に押し戻したが、その効果も短期間で消え、10月3日には再び1ドル=145円を付けた。

海外のインフレと、円安による輸入物価の大幅な上昇が、国内消費者物価にも波及し始めてきており、日本でも遂にインフレが本格化する様相を呈してきた。

円安は日本経済にプラスだと言い続けてきた日銀の黒田東彦総裁も、「これまでの急速かつ一方的な(円安の)動きは、わが国経済にとってマイナスだ」と9月26日の大阪市内で記者会見で述べるなど、持論を修正しつつある。それでも大規模な金融緩和は継続する姿勢を崩しておらず、外為市場では当面、円安が収まらないとの見方が広がっている。

確かに、かつては円安になれば日本企業の輸出が増え、自動車や家電メーカーなどが好業績に沸いた。企業の利益が増えた結果、賃金も上昇して、人々の消費が増えて、それが再び企業収益を押し上げる「好循環」のきっかけになった。円安は日本経済全体にプラスに働いていたわけだ。

今回も円安によって最高益を記録する製造業が数多くある。だが、それが賃金の上昇に結びつくかというと様子が違う。

決算上での数字は良くなるが実際は…

1990年代から2000年代にかけての円高に対応するために、製造業は工場を海外に移転した。事業構造が変わったため、円安になったからといって日本からの輸出数量が大きく伸びるということがなくなった。

また連結決算のマジックもある。今やホンダなどは米国での利益が日本よりも大きい。円安になれば米国での利益を円換算した場合、数字が大きくなり、連結決算上の利益は押し上げられる。かといってドルの利益を円に転換して日本国内に持ち帰るわけではない。

日産自動車最高執行責任者(COO)を務めた志賀俊之氏も、毎日新聞のインタビューで次のように語っている。

「自動車業界は円安で海外売上高や海外のドル建て資産が円換算で増えるので、決算の上では数字は良くなります。しかし、円安になると国内生産に必要な輸入部品のコストが上昇するので、実際のメリットはほとんどないのではないかと思います」

円安でむしろ輸入原材料の価格が上昇、電気などエネルギー代や輸送費なども大幅に上がっている。大手メーカーが下請けからの購入代金を多少引き上げたからといって、「従業員の給与を増やす余裕はない」と部品を製造する下請け会社の社長は言う。つまり、円安が日本経済の起爆剤になった1990年代までとは状況が違うと言うのだ。

長引く円安は、日本人を貧しくさせてしまう

実際、これは2013年以降の「アベノミクス」でも問題視されていた。金融緩和に伴う円高是正で輸出企業を中心に業績は大きく改善したものの、賃金はほとんど上昇しなかった。安倍晋三首相(当時)が「経済好循環」を掲げ、賃上げを求めても実現しなかったのである。

足元でこれだけ円安になっていても製造業に追い風は吹かない。10月3日に日銀が発表した全国企業短期経済観測調査(日銀短観)でも、大企業製造業の業況判断(DI)は3期連続で悪化。日本経済新聞は「かつて円安は日本経済の追い風だったが、構造変化で恩恵が広がりにくくなっている」と指摘していた。

では、長引く円安をプラスに変える方法はないのだろうか。

一部には日本国内に製造拠点を戻して、円安を利用して輸出を増やそうとする動きもある。円安が進めば国際的な価格競争に勝てる、というわけだ。

だが、これはもう一度「貧しい日本」に戻ることになりかねない。先進国に比べ安くて豊富な労働力を持っていた日本が、安くて品質の良いものを大量に製造して輸出していた50年前の高度経済成長期の日本である。

今の円安水準を物価の推移などを考慮した「実質実効為替レート」で見ると、50年前と変わらない円安水準に戻っている。それだけ日本人の国際的な購買力は落ち、「貧しく」なっているのだ。

「日本への旅行客」を増やすことが第一

だが、当時と違い、今の日本は少子化で若年層の人口が減っている。人件費は国際的にみて「安価」になっているが、かといって若年層の「豊富な」余剰人材がいるわけではない。価格競争で勝って輸出を増やすという「発展途上国型モデル」に戻ることはできないし、それをやれば賃金は上がらず、日本経済を支えている国内消費はさらに悪化していくことになる。

ではどうするか。可能性があるのは「インバウンド消費」だろう。円安で日本への旅行が猛烈に「割安」になっている。これを活かすことが第一だろう。

新型コロナウイルス対策を重視するあまり、日本は実質的に「鎖国状態」を続けてきたが、ようやくその大幅緩和に踏み切った。10月11日からは、現在1日5万人の入国者数の上限を撤廃、外国人観光客の個人旅行を解禁するほか、ビザ免除も再開する。

新型コロナで旅行が制約されていた反動で、世界では旅行ブームが起きている。ウクライナ戦争の影響で欧州地域への旅行が忌避されていることもあり、「日本」への人気が集中しつつある。しかも円安で滞在費は世界各国に比して格段に安い。

宿泊料金は「国際相場」へ引き上げるべき

「皆さん(解禁の)情報を得るのが早く、外国の方からの予約が次々に入っています」と奈良の老舗旅館「古都の宿 むさし野」の北芝美千代さんは目を丸くする。若草山の麓にあり、門前には鹿が遊ぶ風情豊かな純和風旅館は、外国人に人気で、新型コロナ前は連日満室続きだった。外国人客向けに、女将の山下育代さんとお茶やお花の手ほどきをするなどアットホームなサービスも好評を博していた。それだけに、日本再訪を待ち構えていた外国人客は多いのだろう。奈良や京都だけでなく、日本各地の紅葉の名所は3年ぶりに外国人観光客で溢れるに違いない。

為替レートで言えば、この3年の間に2割以上の円安になっている。つまり、日本円建ての価格が一緒ならば2割引ということだ。しかもこの間に世界の物価は大きく上昇しているから、割安感が高まっている。

そこで重要になるのが料金の「国際相場」への引き上げだ。外国人旅行者が激増したとして、「安さ」を目当てにした「バックパッカー」ばかりが集まるようになっては、インバウンド消費に結びつかない。

財布に余裕のある旅行者だけを受け入れるブータン

ヒマラヤの王国ブータンは9月から外国人旅行者の受け入れを正式再開するとともに、滞在日数に応じて課す「観光税」を従来の3倍に当たる1日1人あたり200ドルに引き上げた。もともとブータンは、バックパッカーの多い隣国ネパールと対照的に、旅行費用を意図的に高く設定して財布に余裕のある旅行者だけを受け入れる政策をとってきた。今回の大幅引き上げはそれをさらに進めて、富裕層の割合を大きく増やそうと狙っているものと見られる。「量よりも質」の観光政策というわけだ。

日本も、放っておいても激増すると見られる外国人旅行者に、日本国内でお金を使ってもらう方策を考えていくことが重要になる。

「価格勝負」ではなく「品質勝負」の観光に方向転換していくのだ。価格を国際相場に近づけていくことで、増える収益を積極的に従業員の給与引き上げに回し、さらにサービスの高度化を進めていくべきだ。

旅館やホテルなどの宿泊業は、運輸や外食、小売りなどと並んで生産性の低い産業と言われてきた。従業員の給与水準も低く抑えられてきた。「安くて良いもの」という長年日本に根付いた考え方のしわ寄せが「低賃金」に結びついてきた。

「外国人観光客しか泊まれないホテル」があっていい

先日亡くなった稲盛和夫氏は著書『稲盛和夫の実学』(日経ビジネス人文庫)の中で、「値決め」こそが経営だとし、「お客さまが納得し喜んで買ってくれる最大限の値段」で注文を取るべきだとしている。

「商売というのは値段を安くすれば誰でも売れる。それは経営ではない」とまで言っている。長く続いたデフレ経済の中で、安くしなければ売れないとし、コストを下げることに邁進した。それが人件費へのしわ寄せにつながったというのが、この四半世紀の日本の経営だったのではないか。

それを転換するチャンスが、インバウンド消費の世界にやってくる。ただし、給与の増加につながってくるまでの間、インバウンド観光客しか泊まれない日本人には高嶺の花のホテルや、日本人には手が出ない外国人に大人気の高級工芸品というのが出てくるに違いない。

しばしの間、辛抱が必要ということになるが、製造業などに比べて、売り上げの回収が早く、従業員のボーナスなどに短期間の間に反映させられるのが小売りや飲食、宿泊といった業態であることも事実だろう。

円安によって、間違いなく、生活コストは上がっていく。世界の物価上昇からの無縁ではいられない。そうした中で生活を維持し、より豊かになっていくためには、給料を上げていくしかない。そのためには企業が価格を上げてきちんと「儲け」ることが重要になる。円安を「チャンス」に変えて儲ける「経営力」が求められている。