なぜ「パートのままがいい」という人がいるのか…理不尽な「年収の壁」を壊すために岸田政権がやるべきこと 「同一労働同一賃金」がかけ声倒れに終わる理由

プレジデントオンラインに3月29日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/68005

パート社員の待遇を正社員と同等に引き上げ

イオングループの中核企業で総合スーパーを展開するイオンリテールが、パート社員の待遇を正社員と均等にする制度を導入することを決めた。月120時間以上働き、昇格試験に合格した「正社員と同等」の仕事をしているパート社員を、「地域限定正社員」と同等の待遇にする。法改正で2020年から適用されている「同一労働同一賃金」を強く意識した改革であることは間違いない。

イオングループの従業員数は2022年2月末で15万5465人だが、このほかに26万5198人の時給で働くパートがいる。もっともこの人数は1日8時間勤務に換算したもので、実際に採用している総数はさらに上回る。パート、アルバイトを最も雇用している日本企業のひとつである。

同一労働同一賃金」は安倍晋三内閣時の2018年6月に成立した「働き方改革関連法」によって導入された。正社員と同一の仕事をしている非正規雇用の働き手について、正社員と同一の待遇、つまり給与水準だけでなく、賞与や手当てなども同一にしなければならない、と法律で定められた。

当時、「働き方改革」が大きな課題になっていた中で、長時間勤務の是正とともに、正社員と非正規雇用者の待遇の違いが格差を生んでいるとして、野党が強く批判していた。これを安倍内閣が法制化したものだ。

売り場責任者の9%をパート従業員が担っていた

この法律は、2020年から大企業を対象に施行が始まっており、企業側の対応が焦点になってきた。

もっとも「同一労働同一賃金」には抜け穴があると、かねて指摘されている。「正社員と同一」という条件を厳しく捉えると、正社員同等の責任や権限があるかどうかが基準になり、同じような仕事をしていたとしても、「同一」とは言えないという判断が成り立ってしまう。

イオンなど大手スーパーの場合、パート社員として雇用した主婦の中でも経験を積んで「売り場責任者」などとして働く人が増えている現実がある。本来は正社員が行う仕事をパートが行っているとも言え、さすがに「同一労働同一賃金」の適用は回避できないとの見方が広がっていた。

今回のイオンの制度もこうした売り場責任者などが対象で、すべてのパートが含まれるわけではない。ちなみに「リーダー」など売り場責任者の場合、関東圏のパート時給で16%(約180円)上がり、年収は2割増える見通しだという。報道によると、イオンリテールの350店舗の売り場責任者1万1000人のうち、9%がパートだという。

小売・旅館・飲食ではむしろ雇用の大半を占めている

もちろん、パートなど非正規の働き方をあえて選択している人たちもいる。一定の年収を超えると社会保障などの負担が増す「年収の壁」を嫌ったり、休みが取りやすかったり、重い責任が伴わないことをむしろメリットとして働いている人が子育て層などに少なくない。

日本でパートや派遣社員など「非正規雇用」が大きく拡大した背景には、経済成長が止まり、デフレの色彩が強まる中で、企業の多くが、販売価格を抑えるために、コストである人件費を圧縮しようとしてきたことが大きい。

本来、雇用は正社員が中心で、パートなどの非正規雇用は補完的な役割とされてきたが、小売店や旅館・ホテル、飲食店などではむしろパートが雇用の大半を占めるケースが増えている。

一方で、働く側も本来のパートタイム=短時間勤務ではなく、フルタイムを「パート」の待遇で働いている人も増えた。企業としては人件費総額を抑えることにつながったものの、一方で、生活給としては十分ではない困窮世帯が増えることにつながっているという指摘もある。

人件費の増大分は「販売価格」に転嫁するしかない

もっともここへ来てイオンなどがパートの待遇改善に踏み切った背景には、深刻な人手不足がある。

ここ10年ほど増えていた高齢者や女性の労働力に頭打ちの気配が見えているうえに、出生率の低下による若年層の著しい人口減少が加わり、アルバイトなどが十分に雇用できなくなりつつある。

大手スーパーなどでは売り場のレジを無人化するなどの対応も急いできたが、今後、少子化の影響がさらに出てくることが明らかで、中長期にわたって人材をどう確保していくかが焦点になっている。そうした中で、パートの中でも有能な人材により責任の重い仕事を任せるなど、「戦力化」を進める必要性に迫られている。

岸田文雄内閣が「インフレ率を上回る賃上げ」を求めていることもあり、大手企業を中心に賃上げに踏み切っている。

最低賃金が毎年引き揚げられていることもあり、パートの時給も上昇しているが、まだまだ正規雇用に比べて給与格差は大きい。一方で、パートに依存している企業が、仮に正社員並みの給与をパート全員に払おうとした場合、人件費が激増して、赤字に転落することになりかねない。人件費の増加分を賄うためには販売価格への転嫁が必要で、企業は価格引き上げによってさらに利益をあげる体制への転換が求められる。

コスト削減のために「非正規化」されてきた

総務省が発表した1月の労働力調査によると、働いている人、つまり就業者の総数は6689万人。このうち、6034万人が企業などに「雇用」されている。その雇用者のうち37.4%に当たる2133万人がパートやアルバイト、派遣社員といった非正規雇用だ。働く人全体の3分の1弱は非正規ということになる。しかも、37.4%という非正規雇用の割合は2013年1月には33.1%だった。新型コロナウイルスの蔓延で非正規雇用が減っていたが、ここへきて再び増加している。

前述のようにパートなどの「非正規」がひとつの「働き方」として定着し、選ばれている面もあるが、本来ならば「正規」で雇うべき雇用が、コスト削減のために「非正規化」されている部分も少なからずあると見ていいだろう。

その部分を「適正化」する意味で、「同一労働同一賃金」の規定が一定の役割を果たし始めたと言えるかもしれない。これをさらに進めていくには、一定時間以上働くと社会保障費負担が増えてしまうことから労働時間を削減しているとされる「年収の壁」を取り除くことだろう。

1時間でも働けば社会保険を負担する仕組みに変える

ポイントは一定時間以上働いた場合に社会保険の適用とするのではなく、1時間でも働けば社会保険を負担する仕組みに変えることだ。

実は、「年収の壁」は働く側の意識ばかりが強調されるが、使う側の企業の事情も影響していると言える。つまり、一定時間以上働かせて社会保険適用となると、健康保険料などを働き手が負担する必要が生じるとともに、雇用者側が半額負担することが求められる。つまり、社会保険適用にならない時間数だけ働いてもらうほうが企業にとっても人件費負担を抑える効果があるということになるわけだ。

かつて、労働力が有り余っている時代は、社会保険料が免除される短時間労働の働き方を設けることが、働き手、企業双方にとってのインセンティブだったと言える。絶対的な雇用数を増やすことにつながったからだ。だが、人手が足らなくなった現在は、この政策は意味を失っていると見ていい。

「同一負担」が一人当たりの保険料減額につながる

また、一定時間以下を社会保険の対象外にすることで、事務処理の手間を省く意味もあったと思われるが、今やコンピューターの進化と普及によって、大量のデータ処理・データ管理も容易になり、1時間でも働いた人から社会保険料を徴収して管理することは、そう難しいことではなくなった。

さらに、働く人全員から社会保険料を徴収できれば、一人当たりの保険料自体を引き下げることができるかもしれない。

つまり、「同一労働同一賃金」だけでなく、「同一負担」にすることが重要なのだ。岸田内閣は賃上げとともに、この「年収の壁」の打破に向けて制度変更を行うとの方針を示している。岸田内閣お得意の「掛け声」だけにとどまらず、実効性のある改革にたどり着いてもらいたいものだ。