日本が返せるはずのない借金を重ねる根本原因  予算の膨張をとめる「動機」がない

プレジデントオンラインに9月6日にアップされた連載記事です。オリジナルページ→https://president.jp/articles/-/29885

高齢化に伴う「大盤振る舞い予算」が当たり前に

2019年度に当初予算で初めて100兆円の大台に乗せた日本の歳出だが、今後も増大を続けそうだ。

8月末に厚生労働省がまとめた2020年度予算の概算要求額は、32兆6234億円と、今年度当初予算に比べて2.1%、6593億円増え、要求段階で過去最大となった。政府は「高齢化」に伴う社会保障費の自然増を5300億円と見込んでおり、これを上回る「大盤振る舞い予算」が続くことになりそうだ。

厚生労働省の予算は一般会計の3分の1近くを占め、日本の国家予算の中で最大の割合を占める。要求額のうち30兆5269億円が社会保障費で、年金が12.1兆円と1.2%増、公的医療保険への国費投入が1.6%増の12兆円、介護関連が4.7%増の3.3兆円などとなっている。医療費は健康保険の掛け金で賄われているが、高齢者医療費の負担増などによって、赤字の健康保険組合が増えるなど財政難が続いており、国費を投入する金額が増えている。国民医療費の伸びを抑えることが喫緊の課題になっているが、効果を上げていない。

そうした社会保障費の増加に加えて、厚生労働省は新しい事業のための予算も要求している。政府が打ち出している就職氷河期世代の就職支援や助成金に653億円、最低賃金の引き上げに伴って中小企業が生産性向上に取り組む際の助成や、「同一労働同一賃金」の推進に1449億円といった具合だ。

2020年度予算の「100兆円突破」は確実

他の省庁の概算要求をみても「大盤振る舞い」予算ばかりだ。「国土強靭化」という政府の旗印を頼みにする国土交通省の概算要求額は7兆101億円。2019年度当初予算に比べて18%も多い。公共事業費も20%も積み増して6兆2699億円を要求している。大規模な自然災害が頻発していることが、予算要求を「正当化」している。

北朝鮮を巡って安全保障上の脅威が高まっていることを背景に、防衛省の概算要求も過去最大になった。要求額は5兆3223億円と2019年度当初予算比1.2%の増加。米国からの戦闘機購入などに加え、宇宙空間での防衛体制強化などに向けた予算が積み増される。

8月末に出そろった各省庁の概算要求の総額は約105兆円と過去最大になった。今後、各省庁と財務省の折衝などで圧縮されるものの、2019年度予算の概算要求段階よりも2兆円も多いことから、最終的に決まる2020年度の予算が100兆円を突破するのは確実な情勢だ。

主要国で最悪の「大借金国」がまた借金

大盤振る舞い予算のツケは国の借金の増加に直結する。税収は2018年度に60兆円を超え、バブル期を上回って過去最大になった。とはいえ、100兆円を超える歳出予算を組んでいるため、差額の40兆円は国債発行など「借金」に頼らざるをえない。国債に借入金と政府保証債務を加えた、いわゆる「国の借金」は6月末で1105兆円。一向に増加が止まる気配はない。

借金総額は年間のGDP国内総生産)の200%と、主要国の間で最悪の財政状態になっているとしばしば指摘される。そんな大借金国が、予算をどんどん膨らませていて良いはずはない。

そんな巨額の借金を、今後、日本は返していけるのだろうか。何せ、人口は2008年の1億2808万人をピークに、その後減り続けている。新たに生まれる出生者数の減少は止まっておらず、今後、団塊の世代の死亡率が高まると、日本の人口は急速に減り始める。しかも15歳から64歳の「生産年齢人口」と呼ばれる世代は1995年の8717万人をピークに減っている。

ここ数年は働く女性の増加や働き続ける高齢者の増加によって就業者数も雇用者数も過去最高になっているが、これも今後ピークアウトしてくる。現役就業者が減れば、税金や社会保険料を負担する層が小さくなるわけで、歳入増は見込めなくなってしまう。

欧州並みの「消費税20%」に国民が耐えられるか

財務官僚たちは、国の借金を減らすためには、消費税を含む増税が不可欠だという。10月から財務省念願の消費税率10%がようやく実現するが、それで借金問題が片付くわけではない。欧州並みの20%近くまで消費税を上げなければ、社会保障費は賄えない、という声も聞かれる。

問題は、そうした増税に国民が耐えられるかどうかだ。いわゆる「担税力」である。経済成長率が低く、賃金が増えない中で、税金や社会保険料が増えれば、国民の可処分所得は減る。生活が苦しくなるだけでなく、消費を減らせば、企業の収益が減り、経済にもマイナスに働く。

財務省はまだまだ日本国民には「担税力」があると信じているようだ。毎年2月に財務省が発表する「国民負担率」という数字がある。租税負担と社会保障負担が国民所得のどれぐらいの割合を占めるかを示したもので、実績が確定している2017年度は42.9%と過去最高を更新した。10年前の2007年は38.2%、15年前の2002年度は35.2%だったから、いかに国民の負担が増えているか明らかだろう。

それでも財務省は同時に「国民負担率の国際比較」という2016年のデータを公表。フランス67.2%、スウェーデン58.8%、ドイツ53.4%という数字を示している。まだまだ日本国民の負担率は国際相場に比べて低い、と言わんばかりだ。ちなみに、日本が何かと比較する米国の国民負担率は33.1%と日本の42.8%よりはるかに低い。

大企業や金持ちへの課税強化では解決しない

共産党立憲民主党など野党は、もっと大企業や高額所得の個人から税金を取るべきだ、と主張する。第2次以降の安倍晋三政権が進めてきた法人税率の引き下げに反対しているわけだ。

では、本当に法人税率を引き上げれば税収は増えるのかというとそうは限らない。大企業の場合、国際的な競争にさらされているので、法人税率が上がれば、海外に生産拠点や本社を移すことになりかねない。逆に法人税率を引き下げたからと言って法人税収が減るわけではない。確かに法人税率の引き下げで2014年度の11兆円から2016年度の10兆3000億円まで法人税収は減ったが、その後、企業収益が伸びたため、2017年度は12兆円、2018年度は12兆3000億円と法人税収は増えた。

個人のお金持ちに対する課税強化も同じである。現在、最高税率地方税を合わせて55%。2015年の税制改正で50%から引き上げられた。この税率をどんどん引き上げれば良いと思いがちだが、そうなると海外への移住など資本逃避が起きる。富豪ほど海外移住のハードルは低いので、金持ちほど海外に出ていくということになりかねない。そうでなくても、所得税収は高額所得者依存になっており、税率引き上げで多額の税金を納める高額所得者がいなくなれば、税収は間違いなく減ってしまう。

役人にも政治家にも、予算を圧縮するメリットがない

実際には消費税率の大幅な引き上げなど増税は難しいだろう。安倍首相も「今後10年くらいは上げる必要はないと思っている」と討論会やテレビ番組で発言している。10月の消費増税で消費がさらに冷え込むことになれば、経済対策などにさらに出費され、何のための増税か分からなくなってしまう。

消費増税の負担軽減による景気対策働き方改革への生産性向上支援、国土強靭化、国を守るための防衛費——。いずれも反対しにくい名目で予算は毎年膨らんでいく。大借金を抱えた家庭だったら、まず何をするか。大鉈を振るって支出を減らすだろう。だが、国の予算策定の過程では「減額しよう」という声はかき消され、増額要求だけが残る。

なぜか。概算要求など予算を作る役所や役人にも、最終的にそれを決める政治家にも、予算を圧縮するメリットがないのだ。新規に予算を取ってきた課長は、「力のある課長」と評価され、本人も出世するが、自分の課の仕事を減らし、予算を減らしたら、誰にも評価されない。予算が大きければ大きいほど役所として、官僚としての権限は大きくなる。

政治家にとっても、予算は大きい方が好都合だ。地元の公共事業や企業への助成など、選挙民に喜ばれる。「口利き」はできないにせよ、大臣など政治家の予算配分に対する権力も大きくなるわけだ。

「国家財政が破綻してもいい」という無責任

つまり、霞が関にも永田町にも、予算カットすることへのインセンティブは何もないのだ。まして、国の借金が増えたからと言って、幹部公務員の給料やボーナスが減ることはない。万が一にも国家財政が破綻しても、自分たちの退職金や年金がパーになることなどないと高をくくっている。だから、誰も本気で借金返済など考えないのだ。

一般個人の家だったら、借金を返そうと思ったら、保有している資産を売却して借金返済に充てるだろう。だが、霞が関も永田町の誰も、そう考えない。JR九州が予想外に上場できた際の株式売却益も借金返済には回されなかった。今後行われる日本郵政の株式売却益も借金返済に回されることはない。便利な口実は「復興支援」。誰も反対できない。

だが、こんな予算の膨張も、借金の増大も、どこかの段階で限界が来る。

太平洋戦争中の国の膨大な借金は、戦後の預金封鎖とインフレによって解消した。国家財政が瓦解し、猛烈なインフレになることでしか、日本国の借金削減も国家予算の抜本的な見直しもできないというのが、国の舵取りを考えているはずの永田町や霞が関の幹部たちの本音だろう。

オーダーメイド“ハンガー”という世界

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 高級な背広やドレスをオーダーメイドするようなオシャレに敏感な人でも、その服をかけるハンガーにまで気を使っている人は少ないのではないか。

 「誰でも必ず使っているのに、深く考えたことがないモノの代表格がハンガーでしょう」

 そう言って笑うのは「NAKATA HANGER」を展開する中田工芸の中田修平社長。服は身体に合わせて縫製するが、服をかけるハンガーは一般に売られているものだと、形や大きさはほぼ同じ。服に合うハンガーを選んで使えばまだいいが、服を買った時に付いてくるプラスチック製のハンガーや、クリーニングから戻ってきた針金のハンガーにつるしたまま、洋服ダンスにしまうケースも少なくない。

 NAKATA HANGERはそんな常識を打ち破り、洋服にフィットするハンガーを提案している。S・M・Lのサイズに合わない体格の人や、色や形にこだわりの強い人向けには、オーダーメイドのハンガーも作って世に送り出している。

 それができるのは、兵庫県豊岡市で木材から職人が機械を使って彫り出す手作りハンガーを製造しているからだ。中田工芸は1946年の創業以来、一貫してハンガーの製造・販売を行ってきた。木材ハンガーを国内で大量生産しているメーカーは今や中田工芸だけ。メーカーの多くは中国などから入ってくる安価な輸入品に駆逐されて国内製造を断念していった。

 ハンガーの最大の需要先はアパレルメーカーで、ショップに服を陳列する際の必需品だ。高級婦人服ブランドのブティックで使う、色や形にこだわったハンガーの注文などを受けてきたが、90年代ごろから中国製品が入ってきて「価格勝負」になっていった。中田工芸も台湾のパートナー会社に低価格品の製造を委託、激しい価格競争を何とか生き残ってきた。

 そんな中、修平さんの父で現会長の中田孝一さんは、個人客向けのハンガーを作って販売する「BtoC」に力を入れ始める。価格勝負になりがちなファッション業界用から、より高付加価値の個人用へと舵(かじ)を切ろうと考えたのだ。そこへ、ちょうど米国での仕事を終えて戻った修平さんが入社する。2007年のことだ。

 「アメリカまで行って田舎に戻るのは正直嫌だったのですが、東京の青山に店を開くというので、面白そうだと思ったのです」と修平さん。入社して初めての仕事が青山のショールーム作りだった。

未知の世界に飛び込む

 家業とはいえ未知の世界に飛び込んでみると、そこには大きな資産の山があるように見えた、という。当時でも60年以上の歴史があり、確かな技術があり、ハンガーづくりへのこだわりや思いがあった。それを消費者に伝えていけば、必ず価値を見いだす人たちがいる。そう確信したのだという。

 それまでは、「どんな良い商品でも安くしないと売れない」という考えが全社的に染みついていた。価格勝負が当たり前になっていたのだ。修平さんが、良いものなら高く売れると説いても、社員は半信半疑だった、という。

 モノづくりの発想も違った。取引先から言われた通りのモノを忠実に作るのがメーカーの役割だという考えが染み込んでいた。どんなハンガーが良いか、消費者に提案することなど、考えてもいなかった、というのである。

 青山のショールームでは「NAKATA HANGER」というブランドを前面に押し出した。中田工芸という社名では何の会社か分からない。ハンガーの後ろに付けるロゴも作ったが、豊岡で製造したものにしか、このブランドを付けないことに決めた。国産品を徹底して高付加価値商品として売ることにしたのだ。

 きちんとした価格で売れば、その分、腕の良いハンガー職人の給与を引き上げて報いることができる。人手不足の中で、きちんとした給料を払わなければ将来を託せる人材は集まらない。そうなれば、技術の伝承もままならない。経済の循環を維持し続けるには、良い商品をきちんとした価格で売る高付加価値路線が何よりも大事なのだ。

一枚板から削り出す

 そうして生み出された定番品のNH−2という商品は、特別な厚みの一枚板から職人が南京鉋(がんな)などの道具を使って削り出していく職人技が光るハンガーだ。幅43センチメートル、厚さ6センチメートルの重厚なもので、紳士用のジャケットなどをかける高級感があふれる逸品だ。販売価格1本3万円(税別)のこのハンガーを作れる腕を持っているのは中田工芸の職人の中でもわずか2人。商品名のNHはもちろんNAKATA HANGERの略だ。

 左右をつなぎ合わせた通常の作り方で仕上げたAUTシリーズの紳士用スーツかけは、人工工学に基づいて削った滑らかな湾曲が特長で、洋服をかけた時のフィット感にあふれる。4000円から5000円(税別)の価格帯だ。業界の常識からすれば「かなり高い」NAKATA HANGERは、百貨店の紳士向けのこだわり商品のコーナーに置かれたり、高級ホテルのスイートルームで使われるなど、少しずつ知名度が広がっていった。

 そんな「国産」「職人技」へのこだわりが、思いもかけないコラボに結びついた。石川県輪島で、輪島塗の伝統を守り続けている千舟堂から声がかかり、NHに輪島塗を施した最高級のハンガーを作ることになったのだ。付け根の部分に赤富士の蒔絵(まきえ)を施したハンガーは1本15万円(税別)である。

 「今では3000円のハンガーだと、安いねと言ってもらえるようになりました」と中田社長は言う。

 中田工芸の個人向け商品の割合は今や4割。全体の売り上げの伸びは小さいが、付加価値の高い個人向け商品の割合が大きくなることで利益体質になっている。だが、今後もファッション業界向けは減少が懸念されている。アパレルの通信販売が広がり、実際の店舗に洋服を展示せずに販売される形が急速に広がっているからだ。店舗で洋服をつるす必要がなくなれば、ハンガーは不要になる。個人向けに力を入れなければ会社の発展はない。

 「世界一のハンガー屋になりたい」。17年、父親の跡を継いで3代目の社長に就任した修平さんは言う。海外展開は父の代からの夢だったが、もはや夢ではない。海外で日本製の商品が注目されているのだ。海外の展示販売会で2日で100本のハンガーが売れるなど、NAKATA HANGERは世界でも知られた存在になり始めている。社長自ら、シンガポールや英国に売り込みをかけている。

 本家本元の英国で、日本製のハンガーを認めさせる─。そんな目標も視界に入ってきた。「会社の規模を大きくするというのではなく、世界一感動してもらえるハンガーを世界に広めていきたい」と抱負を語っていた。

使わないなら家計に回せ!企業「内部留保」が7年連続過去最大って…  アベノミクス機能不全の元凶

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増え続けているが「好循環」には遠い

企業が持つ「内部留保(利益剰余金)」が、またしても過去最大となった。

内部留保は、企業が上げた利益のうち、配当などに回されず、会社内に蓄えられたもの。2008年度以降毎年増え続け、7年連続で過去最大となった。

財務省が9月2日に発表した法人企業統計によると、2018年度の金融業・保険業を除く全産業の「利益剰余金」は463兆1308億円と、前の年度に比べて3.7%増えた。

全産業の経常利益が83兆9177億円と0.4%に留まるなど利益の伸びが大きく鈍化したこともあり、剰余金の伸び率は2017年度の9.9%増に比べて小さくなった。

安倍晋三内閣は「経済好循環」を掲げ、好調な企業収益を賃上げによって家計に回すことや、積極的な設備投資や配当の増額などを求めている。

同年度に企業が生み出した「付加価値額」は314兆4822億円。前の年度に比べて0.9%の増加に留まった。一方で、「人件費」の総額は1.0%増の208兆6088億円で、かろうじて付加価値の伸びを上回った。このため、付加価値に占める人件費の割合である「労働分配率」は2017年度の66.2%から2018年度は66.3%へとわずかながら上昇した。

もっとも、2017年度の人件費の伸び率は2016年度に比べて2.3%増えていたが、2018年度の人件費の増加率は1.0%に留まった。安倍首相は2018年の春闘に当たって「3%の賃上げ」を求めたが、結果を見る限り、程遠い実績となった。

また、企業が支払った「租税公課」は10兆8295億円と6.5%増えた。法人税率は下がっているものの、企業業績の好調を背景に、法人税収や消費税収が増えた。実際、国の集計でも、2018年度の税収は60兆3564億円となり、バブル期を上回って過去最大となった。

人件費の1.0%増という伸びは、租税公課の6.5%増、内部留保の3.7%増を大きく下回っており、「国」「企業」「家計」という3主体で見た場合、家計への分配が立ち遅れていることを示している。

設備投資、税収、配当に比べ人件費が

ではいったい、なぜ、企業の内部留保は増え続けるのだろうか。

しばしば言われるのが、企業にとって魅力的な投資先がないため、投資を手控えている、というもの。政府が企業の投資に税制上の優遇策など様々な恩典を与えている。2018年度はそうした効果が出はじめたのか、全産業で8.1%設備投資が増えている。

株主への還元も国際水準に比べて低いという指摘がされてきた。2018年度の配当金の総額は26兆2068億円。前の年度に比べて12.4%増えた。

ここ数年、日本企業のコーポレートガバナンス改革が進み、大株主である生命保険会社や年金基金などが「モノ言う株主」へと変わり始めている。

生保など機関投資家に対してはスチュワードシップ・コードによって保険契約者などの最終受益者の利益を最大化するよう行動することが求められており、配当の引き上げや自社株消却といった株主還元を企業に求める声が強まっている。こうした圧力に企業が押されている面もあり、配当が増加傾向にある。

やはり問題は人件費の伸びが小さいことだ。安倍首相はさんざん経済界に賃上げを求め、最低賃金の引き上げも続いているが、統計数字で見る限り、人件費の伸びは小さい。一方で、雇用者数は過去最多を更新し続けており、1人当たりの人件費はむしろ減少している可能性が高い。

10月から消費税率が引き上げられるなど、税負担が増えているほか、社会保険料負担も増しており、家計の可処分所得は減少傾向が続いている。消費が一向に盛り上がらないのは、家計が貧しくなっているからに他ならない。

働く側の主張が企業経営者に届かないという問題もある。

厚生労働省の「労働組合基礎調査」によると、2018年の労働組合の推定組織率は17.0%。組織率の低下が続いており、賃上げ要求など経営への「圧力」がますますかからない状態になっている。

組合がない企業や、組合があっても組合員にならない社員が増えている。これが、賃上げ要求などの力を弱めている面もある。

家計のみが犠牲に

増え続ける内部留保に批判の声は強い。

共産党だけでなく、立憲民主党や、参議院議員選挙で躍進したれいわ新選組など野党は、引き下げられてきた法人税率の引き上げを求めている。高所得者や資産家とともに、大企業からももっと税金を取るべきだ、というのだ。

第2次以降の安倍内閣は、法人税率を大幅に引き下げることで、日本企業の国際競争力を維持しようと試みてきた。アベノミクスの大胆な金融緩和もあって円高が修正されたこともあり、企業収益は過去最高に跳ね上がった。税率を引き下げても税収が過去最高になったわけだから、政策としては間違っていなかったと言うこともできる。

想定外だったのは、企業収益が思ったほど家計に分配されていないということだ。アベノミクスの恩恵を感じないという個人が多いのも、賃上げが進まず、可処分所得が増えていないことが大きい。れいわ新選組の主張に共鳴する有権者が多かったのも、こうした不満が国民の間に溜まっていることを示している。

政府自身も内部留保の増加には頭を痛めている。

日本が成長しないひとつの理由として、企業が儲けを溜め込んで再投資しない点を問題視している。

一部には内部留保に課税すべきだという意見もあったが、「2重課税になるという批判もあり、現実には難しい」(財務省幹部)という見方が一般的。

一時は外国ファンドなどが株主還元の増加を狙って、内部留保課税の導入を政府に働きかけていたが、今はその動きも消えている。

このままでは、再び企業収益の伸びが大きくなれば、その分だけ内部留保が増えることになりそう。果たして、この問題にどう安倍内閣は手を打っていくのか。

消費増税で家計への負担が高まる中で、企業ばかりが懐を膨らませているという批判は、有権者の怒りに火をつける可能性もある。

 

特別から日常へ、会津の「アウトドア用漆器」

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 漆器といえば、お正月やお祝い事など、特別な時に使われる芸術品のような食器という意識が強い。黒光りする漆(うるし)の表面に金や銀の蒔絵(まきえ)が施された椀や重箱を、普段の食事に使うのは「もったいない」という人も多いだろう。ましてやキャンプなどアウトドアに持って出るなんて「とんでもない」というのが、常識に違いない。

 「だから漆器が生活から消えていくんです」と、福島県会津若松セレクトショップ「美工堂」代表、関昌邦さんは言う。漆器に対する世の中の「常識」に歯向かい、「アウトドア用の漆器」を世に送り出した人物である。

 会津若松は「会津塗」で知られる漆器の一大産地で、400年以上の歴史を持つ。ところが、会津漆器の産業規模は今や最盛期の7分の1。それも全体の話で、木から椀などを削り出す木地作りの仕事は13分の1、漆を塗る仕事に至っては32分の1になっている。「特別な時に使うもの」という意識が、消費者だけでなく、生産者の頭にもこびりついた結果、日頃の生活からすっかり漆器が遊離し、一部の和趣味や富裕層が買う嗜好品になってしまった、というのだ。

 「もともと漆は縄文時代から使われていたようで、漆を塗った器に入れた食物は腐敗が遅いなど、古代人は生活の知恵として知っていたのではないか」と関さん。漆器は普段使いの生活必需品として長年使われてきたというのだ。江戸時代までは飯椀といえば漆器だったが、今や会津でも家で漆器を使う人はほとんどいない。

 関さんは「原点に帰って」素材、機能としての漆の意味を考え、カジュアルな生活道具だった漆器に戻そうと考えた。それが漆器復権につながるのではないかと思ったからだという。

 関さんが真っ先に生み出したのが、「NODATE Mug(のだてマグ)」。アウトドアで気軽に使える木製のマグカップだ。木を削り出した筒型の木地に漆を塗り、すぐに拭き取り乾きを待ち、これを繰り返す。漆の下から木目が浮き上がり独特の風合いが出る。さらに器の腰の部分に穴を開け、ヘラジカの革紐(かわひも)を通した。使った後、紐を引っ掛けて乾かすことができる仕掛けだ。漆器の新機軸とも言える商品が出来上がった。

自分が欲しいカジュアルなアウトドア用食器をプロデュース

 「フェスイベントが好きでキャンプに出かけていたのですが、自然の中に行くのに、食器はプラスチックや金属製というのが気になっていました。何とか食器だけでも自然のもの揃(そろ)をえられないかと探したのですが無くて、自分で作ることにしたのです」

 まずは自分が欲しいカジュアルなアウトドア用食器をプロデュースしよう、そう関さんは思い立った。2010年のことだ。実は、漆は熱にも強く、強酸にも強アルカリにも耐える。木を削って作る漆器は丈夫で軽い。アウトドアにもってこいの素材なのだ。このマグカップ漆器が大ヒットする。キャンプ好きの大人たちの間で、人気アイテムになったのだ。

 お茶も点(た)てられ飯椀にもなるやや大ぶりの「NODATE one(のだて椀)」や、エスプレッソにぴったりの小型マグ「NODATE mug tanagocoro(のだてマグたなごころ)」、そしてアクセサリーを兼ねるお猪口(ちょこ)まで、ラインナップを増やしていった。大皿、小皿、箸もある。どれも革紐が付いていて、リュックサックやテントのフックにも引っ掛けられる。この革紐がアクセントになってアウトドア感を引き立てている。

made in Aizu, Japan

 「NODATE」というブランド名を付けたのは奥さんの関千尋さんだった。「茶道に出合った頃から野点(のだて)という日本語の表現が美しいなとずっと思っていた」という。アウトドアでお茶を一服という器に、ぴったりのネーミングだ。関さんは奥さんこそが影のプロデューサーだと笑う。

 問題は価格だった。高級品として売ってきた漆器は高額だ。これをどこまで安くできるか。「理にかなうプライシング」にすることを考えた。職人にもきちんとした報酬を払うが、買う人にも「高いけど欲しい」と思わせる値段にする。何層にも塗り重ねる一般的な艶塗りではなく、最もカジュアルな「拭き漆(摺り漆)」にすることで価格を抑えた。もちろん、それも会津に伝わる伝統的な塗り技法のひとつだ。マグ1つが5500円という価格は、安くはないがべら棒に高くもない。その価格設定もヒットした理由だろう。

 カジュアルとはいえ、「本物の技術」にはこだわり続けている。生活の中に漆器を取り戻すことで、木地作りから漆塗り、蒔絵、といった会津に残る漆器作りの伝統技法を残すことができる。それが「NODATE」漆器を生んだ大きな理由だからだ。器の裏などには「made in Aizu, Japan(メイド・イン・会津・ジャパン)」と刻み、会津産であることを強烈にアピールしている。それは会津の伝統への「誇り」でもあり、会津を守らなければという「焦り」の表れでもあるように見える。

遊び心の中に会津の伝統技法が生きる

 大名道具の弁当箱である「提重(さげじゅう)」を現代風にアレンジした「bento for picnic(弁当フォー・ピクニック)」も、遊び心の中に、会津の伝統技法が生きている。最近では、ストリートアーティストとコラボをした限定品のマグカップや椀を作っている。新しい芸術が伝統的な会津塗りと共鳴することで、新たな魅力が生まれている。

 セレクトショップ美工堂を運営している関美工堂は昭和21(1946)年の創業で、表彰の際の記念品として「楯」を商品化した会社として知られる。長年、トロフィーやカップなどを作ってきた。上質な会津塗りの手仕事の技法を優勝楯という形に変えて付加価値を付け、市場の多様化に活路を拓いた。祖父、父の跡を継いだ三代目の関さんは、漆器の原点に戻って生活の中で使われるモノ、時代に適したあり方を模索し、祖父と同様に会津塗りの多様化を目指している。

 そんな関さんの「NODATE漆器」が女性誌やファッション誌で注目されている。シャネルの特集ページのすぐ後に、「NODATE」の特集が組まれたりするのだ。また、裏千家系の出版社である淡交社のオンラインショップでも、「NODATE one」が扱われた。本家本元に茶椀として認められた格好だ。生活の中で使われる実用性の高い本物に「美」を見いだすのが日本人本来の美意識なのかもしれない。そんな美意識を関さんの「NODATE」は大いに刺激したのだろう。

 「会津は宝の山です」と関さん夫妻は息を弾ませる。関さんは町の中心にある美工堂を、世界のおしゃれな一級品を集めたセレクトショップにした。東京やニューヨークにあるようなお店だった。だが2年半ほど前に店作りの方針を一変させた。「NODATE」漆器を中心に、会津木綿で作った昔ながらの作業服など、会津の手作りの逸品を揃えるようにしたのだ。

 「今は世界で唯一のお店になりました」。そう語る関さんは漆器文化に代表される「会津の価値」に磨きをかけ、国内外に売り込んでいくことが自らの役割だと考えている様子だった。

総務省に徹底抗戦「泉佐野市ふるさと納税」の行方

新潮社フォーサイトに9月2日にアップされた記事です。オリジナルページ→https://www.fsight.jp/articles/-/45811

 「お上」の決定への徹底抗戦が続いている。

 ふるさと納税制度が今年6月から見直されたのを機に新制度から「除外」された大阪府泉佐野市が、総務省の決定に対して不服を申し立て、「国地方係争処理委員会」で審査が続いているのだ。8月9日には4回目の会合が非公開で開かれ、双方の主張が展開された。9月9日までに結論が出される。

総務大臣通知を出しても……

 地方自治体は「自治」という名前は付いているものの、国の沙汰には従うのが一般的だ。というのも地方交付税交付金の配分や様々な許認可権を握る国に抵抗すれば、仮にその件で勝ったとしても、いずれどこかで仕返しをされかねない。江戸の仇を長崎で討たれるることが目に見えているからだ。国の決定を不服としてガチンコで闘うというのは極めて異例だ。

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郵政3社「時価総額」半減で、政府保有株「売却延期」が急浮上のワケ 郵政民営化はどこへ行った

現代ビジネスに8月30日にアップされた拙稿です。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66864

時価総額が「半減」…!

かんぽ生命保険の不正販売問題で、郵政3社の株価が大きく下落している。かんぽ生命株は1455円、ゆうちょ銀行株は947円、親会社の日本郵政は938円と、いずれも8月26日に上場来安値を付けた。

3社とも2015年11月に東京証券取引所に上場、上場直後には軒並み高値を付けた。上場高値は、かんぽ生命が4120円、ゆうちょ銀行が1823円、日本郵政は1999円なので、上場来高値から上場来安値までの下落率はそれぞれ65%、48%、53%ということになる。まさに暴落と言っても過言ではない。

株価に発行済株式数をかけた「時価総額」の3社合計は、ピークだった2015年12月には19兆円を超えていた。8月の安値では9兆5000億円を下回っており、ピークの半分以下になった。日本郵政グループの企業価値が半減したわけだ。

かんぽ生命の不正販売を巡る問題は今年6月に発覚。

保険契約者に契約の更改を勧めるに当たって、単純に切り替えるのではなく、新旧の保険料を二重に徴収する期間を設けたり、無保険期間を生じさせたりするなど顧客に不利益となる契約更改を行っていたというもの。

いずれも契約成績を水増ししたり、それに伴う奨励金を得るのが目的で、現場の営業職員の間で広く行われていたとされる。

不正の「真の背景」

7月31日の会見で明らかになった不正販売の規模は驚くべきものだった。2014年度から18年までの5年間だけで、顧客の不利益につながった恐れがある契約が約13万7000件に上ることを明かしたのだ。

もっとも、全容は分からないため、9月中に3000万件の契約者全員に更新の経緯などを確認するとしている。

現状で、半年以上にわたって顧客に保険料を二重払いさせていた疑いのあるケースが約7万件、特約などの切り替えで済むのに保険全体を乗り換えさせたケースが約2万5000件、新契約への乗り換えを拒んだケースが約1万9000件、予定利率の低い同じ種類の契約に切り替えさせた件数が約2万件、一時的に無保険状態になった契約が約4万6000件にのぼることなどが明らかになっている。

いったい、なぜ、こんな不正販売が全国の郵便局で当たり前のように行われていたのか。

メディアには次々に現場の「過酷なノルマ」の話が溢れた。経営者が設定したノルマを達成するために、不正に走ったという話になっているのだ。

かんぽ生命が設定・販売する保険は、日本郵便が経営する全国の郵便局でも販売されている。日本郵便は2019年度の営業目標として450億円の販売を設定、それが郵便局ごとに割り当てられていたという。

民間企業ならば営業目標の設定は当たり前のことだろう。だからと言って、民間企業で不正販売が横行しているわけではない。

にもかかわらず、日本郵便の経営陣は労働組合から批判を浴びると、すぐさま今年度の営業目標を廃止、かんぽ生命の保険商品の販売を自粛することを決めた。一連の不正販売がノルマを課した経営者の責任であることを事実上、認めたのである。

しかし、経営陣が本当に責任を取るのかといえば、どうも怪しい。日本郵政長門正貢社長も、かんぽ生命の植平光彦社長も、日本郵便の横山邦男社長も「それぞれの会社で陣頭指揮をとり邁進するのが職責だ」として、辞任を否定しているのだ。

とくに日本郵政長門社長は自分自身に責任があるとは思っていないフシがある。というのも、かんぽ生命の植平社長と日本郵便の横山社長は7月10日に謝罪会見を開いたが、その席に長門氏の姿はなく、厳しい批判を浴びた。7月31日にはようやく3人揃っての会見となったが、前述のように辞任は否定している。

「岩田発言、清田発言は非常に重いので、この場をお借りして、冗談ではないということを申し上げておきたい」

長門社長は記者からの質問にこう反発してみせた。岩田発言とは、政府の郵政民営化委員会の岩田一正委員長が記者会見で、「不祥事案は速やかに公表すべきだった。透明性が極めて重要だった」と指摘したこと。

日本郵政は4月23日に、かんぽ生命の株式を大量に売却、日本郵政保有株比率を89.00%から64.48%に引き下げていた。長門社長は、かんぽ生命の取締役も兼ねており、かんぽ生命株を売却する時点で今回の不祥事を知っていたのではないか、という嫌疑を岩田氏が指摘したのだ。

清田発言とは、日本郵政とかんぽ生命が上場する東京証券取引所を傘下に持つ日本取引所グループ(JPX)の清田瞭・最高経営責任者(CEO)が、同様に「適切な情報開示がなかった」と批判したことを指している。

これらの指摘に対して長門氏が「冗談ではない」と開き直ったのだ。

実は、かんぽ生命は3月末までに金融庁に対して保険業法に違反した事例22件を報告していた。その中にも今回のような不正販売が含まれていたという。つまり、長門氏は不正販売が行われていたことを知る立場にあったということなのだ。

こうした疑惑に長門氏は「知らなかった」と繰り返している。現場から情報が上がっていなかったというのだ。

「郵政グループの経営陣は現場をまったく知りませんから」と、同業の民間企業のトップは語る。郵政民営化で経営トップは外部からの人材を据えたが、現場と経営陣の間には大きな溝があるというのである。

だからと言って、郵政の信頼を大きく揺るがす大問題に発展した問題に頰かむりを決め込むことは難しいだろう。全容が解明された段階で、トップの辞任は避けられない。

はっきり言って民営化失敗

問題は、民営化の象徴だった外部からの民間人経営者登用が頓挫することで、郵政民営化が再び遅れていくことだ。

当初、郵政民営化は2017年9月末までに政府の保有株がすべて売却され、かんぽ生命も、ゆうちょ銀行も完全な民間企業になる予定だった。ところが民主党政権時代の郵政改革の見直しで、保有株は「できるだけ早期に」売却するという文言に改められた。その結果、政府保有株の売却は遅々として進んでいない。

また、冒頭で見たように郵政3社の株価は大きく下落しており、そうした中で今年秋にも予定されている日本郵政株の売却がさらに延期されていく可能性が出てきかねないことだ。

今でも日本郵政の株式は国(名義は財務大臣)が63.29%を持ち、その日本郵政がかんぽ生命株の64.48%、ゆうちょ銀行株の88.99%を保有する。日本郵便日本郵政の100%子会社だ。

民営化と言いながら、まだ日本郵政は国の「子会社」、ゆうちょ銀行、かんぽ生命、日本郵便は国の「孫会社」なのである。

かんぽ生命の不正販売問題が、郵政民営化をさらに遅らせることになるとすれば、まさしく改革に逆行することになりかねない。

9万円から毎年値上がりする日本酒

雑誌Wedgeに連載中の「Value Maker」の記事がWEDGE Infinityに再掲載されました。オリジナルページ→

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14936

 1本8万8000円の日本酒(750ミリリットル、税別)が評判を呼んでいる。「夢雀(むじゃく)」。山口県の創業支援などを受けて設立されたARCHIS(アーキス)というベンチャー企業がプロデュースして2016年に生み出した。ターゲットはロマネ・コンティを買うような世界の富裕層だ。

 ビンテージ日本酒は作れないだろうか─。アーキス副社長で夢雀プロジェクトの責任者である原亜紀夫さんの思いつきから話は始まった。

 日本酒といえば、その年穫れた米を原料にした新酒を飲むのが一番というのが半ば常識である。年によって米の出来に良しあしはあるが、だからといって17年産の日本酒を保存しておこうということには普通はならない。時に古酒というのも出回るが、変色し味も日本酒からかけ離れていく。古ければ珍重されるというものでもない。

 この点、ワインとは違う。ワインはぶどうの出来によって年ごとに評価され、価格も付く。いわゆるビンテージものである。それを日本酒で実現できれば、日本酒の付加価値が大きく高まり、業界が成長するのではないか。

 そんなことを考えている時に、岩国の錦帯橋(きんたいきょう)が架かる清流錦川をさかのぼった小さな町、錦町にある酒造会社堀江酒場の杜氏(とうじ)・堀江計全(かずまさ)さんと出会う。「金雀(きんすずめ)」というブランドで低温で長期熟成させる日本酒を開発していたのだ。堀江酒場は江戸中期の1764年創業。家伝の技術を守りながら、新しいものに挑戦していたのだ。原さんは堀江酒造に醸造を委託することを決める。

 原さんが選んだ酒米は一般的な山田錦ではなく、イセヒカリという品種。1989年に伊勢神宮の神田で偶然発見された。その年、伊勢地方は二度、台風に襲われたが、コシヒカリが完全に倒れた中で二株だけ立ち上がったのがこの苗だった。後にイセヒカリ命名され、それが山口県で栽培され続けていたのだ。「嵐にも耐えた奇跡とも言える神酒米は世界一の酒造りにふさわしい」。そう原さんは思ったという。

今までにない華やかで味わいの深い酒

 ところが酒を造ってみると、通常の造り方では辛くて旨(うま)くない。思い切って18%まで磨いてみたところ、一気に味が変わったのだという。「今までにない華やかで味わいの深い酒ができた」という。しかも、堀江杜氏の技術で、この酒は長期熟成してもほとんど色が変わらず、劣化しないという。

 減農薬、有機農法で育てた2015年産のイセヒカリを使って16年に純米大吟醸の「夢雀」を発売した。

 問題は価格だった。イセヒカリ山田錦に比べて面積当たりの収量が少ない。しかも、「農家にも儲(もう)けてもらうため」(原さん)山田錦よりも高値で買い取った。実は、アーキスという会社は社長の松浦奈津子さんが行ってきた古民家再生など地域おこしを主体とする活動から生まれた。自分たちだけが儲けることを第一義にしていない。

 その精魂込めて契約農家が作ったイセヒカリを18%まで磨いたため「原料費は通常の酒の4倍にはなっている」と原さんは言う。しかも粗製乱造しないため、1000本限定とした。

 「1本18万円にしたいがそんな高額の日本酒は前例がない。かといって1万8000円では大赤字になる。ならば8万8000円にしよう、と決めました」と原さん。数字の8にこだわったのは「八」が「末広がり」で吉数だから。日本的な験担ぎである。

 「その値段でどこで売れるんですか」 行政も、酒蔵の関係者も、ことごとく反対した。

 いったい、どこで売るのか。原さんは日本国内で売る気はさらさらなかった。まずは香港。そしてドバイ。世界の大富豪が集まる場所で売ろうと考えたのだ。

 原さんはかつて商社に勤めていた時代の人脈などを頼りに、直接売り込みにかかった。

 イセヒカリを18%にまで磨き込み、蒸し米とこうじ米を通常とは異なる比率で混ぜた「夢雀」は、日本酒とは思えないフルーティーな味わいで、まさに「ライスワイン」と呼ぶにふさわしい。もちろん、ワイングラスに注ぐが、その芳醇な香りは華やかだ。海外のワイン通をうならせた。「これは本当にサケなのか」。

 日本酒の4合瓶は720ミリリットルだが、シャンパンをモチーフに750ミリリットルの深い青色の瓶にした。ラベルは伊勢神宮の神田で発見されたイセヒカリのイメージから、お札(ふだ)のようなタテ型にした。外国人が親しむ「洋」の形に、日本の伝統的な「和」のテイストを織り交ぜたのである。

 結果は上々だった。香港のマンダリンオリエンタルホテルやドバイのアルマーニホテルなど高級ホテルが買い入れた。また、香港の酒販会社のオーナーからまとまった注文も入った。

 ビンテージならではの「売り方」にもこだわっている。

シリアルナンバーをつける

 数量限定でシリアルナンバー入りとしたのだ。購入希望を受け付ける際に、誰が購入したかをすべて把握、商品には鑑定書を付けて発送する。手に入らない限定品ではしばしば空き瓶が取引されたり、偽物が出回ったりする。それを防ぐ狙いもあるが、狙いは「夢雀の価値の劣化を防ぐ」ためだという。

 「夢雀」の2016年物は、その後、10万8000円で販売していたが、ほとんど在庫がなくなったため、販売を取りやめた。8万8000円で売り出したものが、時と共に希少性を増し、価格が上昇していく。これこそ、原さんが思い描いた「ビンテージ」の姿だ。

 17年物はコメの出来が悪く、酒の製造を見送った。今販売しているのは18年物である。今年も米の出来さえ良ければ、仕込みが始まる。

 富裕層の世界では、ワインは飲んで楽しむものであると同時に投資の対象でもある。瓶詰直後にまとめ買いをして自分のワインセラーで熟成させておけば、いずれ時と共に価値が増していく。日本酒もそうした世界標準の「買われ方」をするようになれば、まだまだ需要も増え、価格も上昇する。世界に通用する本当に良いものを作れば、価格は天井知らずだ。

 「いずれ、ロマネ・コンティの横にライスワイン(日本酒)のビンテージものが並ぶ時代が来ればいい」と原さんは夢を膨らませている。

 戦後長い間、日本企業は「良いものを安く売る」ことが使命だと考えてきた。確かにモノの足りない時代はそれで人々の生活が豊かになり、日本全体を成長させてきたのは間違いない。

 ところが日本がモノ余り、カネ余りの時代に突入して長い時間がたつ。いわゆるデフレの時代だ。確かにものは溢れたが、企業は儲ける術(すべ)を失い、人々は低賃金に喘(あえ)いでいる。

 そこから脱出して、再び経済を成長させるには、より良いものを高い値段で売る「高付加価値経営」が不可欠だ。ここでは、最高のものを高く売る商品開発や販売の仕組みなどに挑む全国各地の取り組みを取り上げていく。