働かないのは憲法違反なの!? 産業革命以降の労働観、その「大前提」が変わり始めた

現代ビジネスに6月15日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48917

働かないのは憲法違反?

そもそも「働く」とは何なのか。人は何のために「働く」のか――。

著者もメンバーのひとりとして参加している20年後の働き方を考える厚生労働省の懇談会、「『働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために』懇談会」では、そんな、そもそも論に火がついた。ついたというより、労働政策の素人である筆者が質問を投げかけたのをきっかけに議論になったのである。

働くということに関して日本の法律はどう定めているのかを調べてみた。国の最高法規である憲法にも、「勤労」つまり働くことについての規定がある。

「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」

そう憲法27条には書かれている。さらに第2項には「賃金、就業時間、休息その他の労働条件に関する基準は、法律でこれを定める」とあり、第3項には「児童は、これを酷使してはならない」とある。

他にも、「奴隷的拘束の禁止」(18条)や「職業選択の自由」(22条)、「勤労者の団結権、団体交渉権」(28条)などが定められている。

おおむね理解できるのだが、ひとつだけどうしても気になった点がある。27条に書かれている「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」という規定だ。

「勤労の権利」は分かるとして「義務を負う」というのはどういう意味か。働かないで遊んで暮らすのは憲法違反ということなのだろうか。

働かざる者食うべからず?

労働法の先生方に聞いてみた。

大家のおひとりは、「精神規定なので、働かないからといってすぐには憲法違反にはならない」という答えだった。もうひとりの大家からは、「憲法13条で幸福追求権を認めているので、働かないことが幸せだという人にまで働く義務を課しているわけではない」というお答えだった。

素人からみると、労働法の先生たちはあまり憲法を本気で捉えていないようにみえた。そんな素人質問はされたことがない、ということだろう。

別の機会に労働経済学の大家にも同じ質問をぶつけてみた。今度は答えがすぐに返ってきた。

「働く能力も機会もあるのに働こうとしない人は、生活保護を受けられないということです」というのだ。憲法学者の解釈もおおむね、それが「定説」というか「定番の解釈」になっているようだ。

しかし、素人からすると、憲法の条文をそのまま読んで、生活保護を受けるには、という規定のようにはどうしても思えない。やはり、働かずに不労所得を得て安穏と暮らすのは憲法違反と読むのが正しいのではないか。そう思ってしまう。

日本国憲法制定に大きな影響を与えたアメリカ人の宗教的倫理観が背景にあるのか。あるいは日本に根差した儒教精神に遡るのか。日本には「働かざる者食うべからず」ということわざもある。

実は、日本の法律には、「働くとは何か」といった定義が定められているものはないようだ。

労働基準法の出だしは「1章総則」となっているが、1条はいきなり「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」という規定から始まる。憲法27条2項にある「賃金、就業時間、休息その他の労働条件に関する基準は、法律でこれを定める」を受けているのだろう。「働く」とは何かという定義なしに「条件」から入っているのだ。

そんなの働くということは誰でも分かる自明のことだろう、という指摘があるかもしれない。しかし、対価を得るものだけが「働く」ことか。ボランティアは労働ではないのか。趣味で作ったものを売っていても労働とは言えないのか。様々な疑問がわいてくる。

働き方の大前提が変わっていく

日本の労働政策というのは、企業に雇われている「労働者」と雇っている「使用者」の利害を調整し、過酷な労働を強いられている労働者を保護して権利を守るための政策だとされてきた。

だから今でも、労働政策の根幹の法律は労働者代表、使用者代表、公益代表という三者の合意の上でないと決められないことになっている。いわゆる三者合意と言われるものだ。

だが20年後の未来を考えた場合、企業に雇われてこき使われるような働き方はごく一部で、多様な働き方が広がっているように思われる。労働は苦役なので働く時間を制限するべきだという産業革命以降の工場労働を前提とした働き方の前提は、大きく変わっている可能性が高い。そもそも苦役の部分はAI(人工知能)を搭載したロボットが代替している可能性が高い。

逆に言えば、現在の労働法や労働法制がカバーしている領域が、働き方のごく一部になってしまうのだ。いや、すでに現在でも、労働法できちんとカバーされていない働き方が存在する。

非正規労働はすべて悪で、正社員に置き換えるべきだ、という主張がある。同じ工場で働いている人が、正社員か派遣かによってまったく待遇が違うような差別は、当然早急に是正されるべきだろう。一応、安倍晋三内閣も「同一労働同一賃金」を掲げている。

だからといって、すべてがフルタイムで働く正規社員ばかりになっていくかというとそうではない。短時間の労働や、フレキシブルな働き方、あるいは会社以外での働き方など多様な働き方へのニーズは大きい。ひとりでいくつもの企業で働く副業型の働き方も広がるだろう。

そうした多様な働き方を考える時、そもそも「働くとは何なのか」といった原点を見つめ直す必要が出てくるように思う。

懇談会は7月に向けて報告書の作成に入るが、まだどんな結論になるかが見えているわけではない。だが、20年後を考えると働き方の多様性が急速に増すのは間違いなさそうだ。そうした多様な働き方をカバーできる労働法制や労働政策のあり方を考え直す必要があるということだけは間違いなさそうだ。