「繁忙期残業100時間」は朗報か? 悲報か? 働き方改革実現会議が「実行計画」を策定へ

日経ビジネスオンラインに3月24日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/032300038/?P=1


かえって残業を助長しかねないとの危惧も

 「残業100時間を法律で許すなんて暴挙だ」「一律的な規制は限界。自律的に働きたい労働者も考慮すべきだ」──。

 政府がとりまとめた繁忙期の残業時間の上限を1カ月100時間未満とする案について、左右両派から非難の声が上がっている。規制強化を求める労働者側からすれば、法律に「100時間未満」と明記されれば、そこまで働かせることが「合法」だという意識が広がり、かえって残業を助長しかねないと危惧する。一方で、ソフトウェア開発やクリエイティブ系の仕事に就いている人たちは、納期前に集中的に仕事をするなど自分のペースに合わせるのが当たり前で、一律に時間で規制されては仕事がやりにくいという声もある。果たしてこの「上限100時間未満」は、働き手にとって朗報なのか、悲報なのか。

 政府は昨年9月から続けてきた「働き方改革実現会議」(議長・安倍晋三首相)で、3月末までに「働き方改革実行計画」を策定する。長時間労働の是正は、その中の最大の柱のひとつだ。

 3月17日に首相官邸で行われた9回目の会議では、「時間外労働の上限規制等に関する政労使提案」という文書が出された。会議のメンバーでも連合の神津里季生会長と、経団連榊原定征会長が合意し、安倍首相が了承したものだ。

 そこにはこう書かれている。

<原則>

■ 週40時間を超えて労働可能となる時間外労働時間の限度を、原則として、月45時間、かつ、年360時間とし、違反には次に掲げる特例を除いて罰則を課す。

<特例>

■ 特例として、臨時的な特別の事情がある場合として、労使が合意して労使協定を結ぶ場合においても、上回ることができない時間外労働時間を年720時間(=月平均60時間)とする。
■ かつ、年720時間以内において、一時的に事務量が増加する場合について、最低限、上回ることのできない上限を設ける。

■ この上限については、

 1.2か月、3か月、4か月、5か月、6か月の平均で、いずれにおいても、休日労働を含んで80時間以内を満たさなければならないとする。

 2.単月では、休日労働を含んで100時間未満を満たさなければならないとする。

 3.加えて、時間外労働の限度の原則は、月45時間、かつ、年360時間であることに鑑み、これを上回る特例の適用は、年半分を上回らないよう、年6回を上限とする。


もともと「例外」を除いて、残業は月45時間までのはず

 これを読んで、瞬時にルールを理解できる人は少ないだろう。もともと労働基準法では残業は月45時間までという原則が明記されている。ところが、話をややこしくしているのが「例外」を認めている点だ。労働基準法の36条にはこう書いてある。

 「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第32条から第32条の5まで若しくは第40条の労働時間又は前条の休日に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる」

労使で合意さえすればOKの「36協定」

 何ということはない、労使で合意さえすれば、良いとしているのだ。これが「36(さぶろく)協定」と呼ばれるものだ。日本での労働時間は法律で定められている「建前」と労使合意による「本音」の二本立てでこれまでやってきたわけである。その建前と本音のかい離が激しくなっているから、職場での過重な労働が当たり前になっているわけだ。

 当初、働き方改革実現会議では、この36協定を廃止すべきだ、という声が出た。労使で合意すれば例外を設けられるようにするのではなく、法律で上限を決めればよいではないか、というわけだ。

「36協定」廃止の話は消え、特例の上限を決める方向へ

 ところが会議が進む中で、「36協定廃止」の話はどこかへ消え、「本音」である特例の上限を法律で定めるという話になった。要は、労使双方にとって「36協定」は都合が良い制度なのである。ここで言う労使とは連合と経団連だ。

 経団連にとって、労働組合と合意すれば「例外」が設けられる36協定が便利なのは容易に理解できる。御用組合が多い中で、経営側の思いどおりに残業時間を設定できるからだ。では、連合にとっても都合がよいとはどういう事か。つまり、「労使合意」を条件とすることで労働組合の存在意義を確保していることになるからだ。つまり、法律よりも労使合意が超越するという現状を変えたくなかったわけである。

 だが、この労使合意というのも実は「建前」だとみることができる。労働組合の組織率は今や17.3%。大企業を除くほとんどの会社に労働組合はない。法律では組合の代わりに「労働者の過半数を代表する者との協定」を条件にしているが、本当に彼らが労働者の過半数の意見なのかどうかも怪しい。

「組合は『労使合意』を押しつけてくる」

 「組合は敵ですね。会社と残業時間を合意したと言って、社員に押し付けてくるわけですから」。そう労働組合がある大企業の若手社員は言う。組合があるからといって、1人ひとりのライフスタイルにあった「働き方」を実現できているわけではないのだ。

 では、「100時間未満」を法律で定めることは無意味か、といえばそうではない。「100時間未満」という時間よりも、法律で上限を決めるということが大きいのではないか。いったん上限が法律に入れば、その法律を改正して上限時間を徐々に短くしていくという流れになる可能性は十分にある。長時間労働を是正する第一歩になり得るだろう。

「100時間」では、死ぬ寸前まで働け、と言っているに等しい

 だが、いかんせん「100時間未満」という上限は緩すぎる。100時間の残業をして脳溢血で死亡すれば、ほぼ間違いなく労災認定がされる。死ぬ寸前まで働け、と言っているに等しい。とくに危惧されるのは、慢性的な人不足に陥っている飲食店や小売店などの中小零細企業で、「100時間未満」という数字がひとり歩きしかねないことだ。

 厚生労働省が昨年6月に公表した「過労死等の労災補償状況」によると、2015年度の「脳・心臓疾患」による労災申請件数は795件と前年度に比べて32件増えた。請求のうち死亡した例は283件におよぶ。いわゆる「過労死」である。過労死した人の数も2014年度の245件から増えている。

「過労死」のケースで目立つ「自動車運転」と「建設」

 9回目の働き方改革実現会議では、安倍首相が「残る重要な課題」として、2つの職種を挙げた。「自動車の運転業務」と「建設事業」である。長距離トラックの運転手や、深夜にわたって工事に携わる建設作業者は長時間労働を強いられるケースが多い。とくに人手不足が深刻化している現在、さらに長時間の過重労働に追い込まれている。実際、過労死認定されたケースの中で目立つのが「自動車運転」と「建設」なのだ。安倍首相は「長年の慣行を破り、猶予期間を設けた上で、かつ、実態に即した形で時間外労働規制を適用する方向としたい」としており、長時間労働にメスが入ることになりそうだ。

 もっとも、職種によっては単純に労働時間の上限を設けるだけでは、長時間労働の解消につながらないケースも想定される。仕事の仕方自体を変えない限り、労働時間を短くすることは難しい。現在と同じ成果をどうやったら短い時間で上げることができるのか。経営者と従業員だけでなく、顧客なども一体となって、仕事の仕方を抜本的に変える必要がありそうだ。そういう意味ではこの3月にまとまる「行動計画」は、あくまでも第一歩に過ぎないだろう。