日経ビジネスオンラインに8月24日にアップされた原稿です。オリジナルページ→https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/082300083/
長期金利の「上昇容認」は政策の修正か
自民党総裁選が9月7日告示、20日投開票で行われる。すでに石破茂元幹事長が出馬を表明しており、現職で3期目を目指す安倍晋三総裁(首相)と一騎打ちになる見通しだ。
安倍氏は会合で、「6年前は谷垣禎一総裁の出馬断念があったが、今回はよーいドンで新しく総裁を選ぶのとは違う。現職がいるのに総裁選に出るというのは、現職に辞めろと迫るのと同じだ」と対抗馬を恫喝まがいに牽制した。派閥の多くは早々に安倍総裁支持を打ち出し、立候補が予想されていた岸田文雄政調会長も出馬を断念した。石破氏支持を打ち出すかにみえた竹下派も事実上自主投票となり、半数以上の議員が安倍氏に投票する見込みだ。安倍氏はすでに議員票の3分の2は固めたとされる。
問題は6年前に石破氏が半数以上の票をさらった地方票の行方。しかし「安倍氏では選挙を戦えない」という声があった6年前と今とではまったく様子が異なる。安倍首相が先導してきたアベノミクスに国民の一定の支持があるからだ。
安倍氏もアベノミクスの成果を強くアピールしている。8月12日に山口県下関市で安倍首相が行った講演では、こんな発言をしている。
「5年前に日本を覆っていた重く暗い空気は、アベノミクスによって完全に一掃することができた。20年近く続いたデフレからの完全脱却に向け、今日本は確実に前進している」
確かに、デフレに喘いでいた5年前と比べれば、空気はだいぶ明るくなったのは事実だ。だが、「着実に前進している」のかどうかについては、異論も多い。野党だけでなく、金融界の専門家の間からも「アベノミクスは失敗した」という声が上がっている。
そうした声が一段と強まったのが今年7月31日。日本銀行が金融政策決定会合を開いて、金融緩和策の修正を決めた時だった。長期金利の上昇を「0.2%程度」まで容認するという政策を巡って、アベノミクスで推進してきた大規模な金融緩和策の修正と捉える専門家が少なくない。黒田東彦総裁は「金融緩和の持続性を強化するため」として、長期金利を「0%程度」としてきたこれまでの政策の大枠は維持する姿勢を強調したが、政策の成果が上がらないため、修正に踏み切ったとみる見方もある。
2020年度でも物価上昇率は2%に達しない
背景には日銀が目標としてきた「2%」の物価上昇がなかなか達成できないことがある。黒田総裁が就任した直後の2013年4月には、「異次元緩和」と名付けた大胆な金融緩和に踏み出した。マネタリーベースを2倍にして、2年で2%の物価上昇を達成するとしたのだが、それ以降、2%の物価上昇は達成目標年度を何回も先送りしてきた。
7月末の決定会合で日銀は、消費者物価(生鮮食品を除く)の上昇率の見通しを、2019年度は4月時点の1.8%から1.5%に、2020年度は1.8%から1.6%に引き下げた。つまり、目標である2%には2020年度も届かないと日銀自身が認めたわけだ。
アベノミクスが当初から目標として掲げてきた「2%の物価安定目標」が達成できないことが鮮明になったことで、「アベノミクスの失敗が明らかになった」という声が噴出したのだ。
とくに銀行系のエコノミストなどの間からは「それ見たことか」といった反応が出た。伝統的なエコノミストの多くは、大胆な金融緩和を実施すれば消費や設備投資が盛り上がり、物価が安定的に上昇、デフレから脱却できるという、いわゆる「リフレ派」のシナリオに否定的だ。大規模な金融緩和は財政規律を緩ませ、国債の信用度を落として、国の将来に大きな禍根を残すというのがオーソドックスなエコノミストの主張だ。アベノミクスは効果よりも副作用の方が大きいというわけである。
実際、デフレからの脱却を掲げた大胆な金融緩和は、日銀による大量の国債購入やETF(上場投資信託)を通じた株式の買い上げにつながっている。このため、国債の流通市場が消滅するなど市場を大きく歪める結果になった。日本の代表的な企業の実質筆頭株主は日本銀行という歪んだ状態になっているのも事実だ。また、マイナス金利政策によって金融機関の経営も一段と厳しさを増している。そうした副作用を引き起こしているにもかかわらず、物価は一向に上がらないではないか、というわけだ。
安倍首相の言うようにアベノミクスは成果を上げ、着実に前進しているのか。それともエコノミストたちが言うように、副作用ばかりでまったく成果が上がっていないのか。アベノミクスに対する評価はいったいどちらが正しいのだろうか。
この5年で空気が明るくなったと感じている国民は多いだろう。何よりも雇用情勢が一変したことが大きい。就職氷河期といわれた新卒学生の採用状況は一変、引く手あまたの状態になっている。
「就業者数」は21年ぶりに過去最多を更新
ついに働く人の総数である就業者数は今年5月に6698万人となり、1997年6月を上回って21年ぶりに過去最多を更新した。高度経済成長期よりも、バブル期よりも、働いている人の総数は多いのである。
その就業者数は第2次安倍晋三内閣が発足した直後の2013年1月から66カ月連続でプラスとなっている。企業に雇われている「雇用者数」も同じく66カ月連続の増加。2012年12月の5490万人から今年6月の5940万人まで、450万人も雇用が生み出された。
日本の人口は2008年の1億2808万人をピークにすでに減少に転じており、今年7月の推計では1億2659万人と149万人減っているにもかかわらず、働く人の数は増えているのだ。
それは、アベノミクスの一環として、安倍首相が就任以来「女性活躍促進」を言い続けている効果であることは間違いない。この5年半で増えた459万人の就業者のうち、304万人が女性の増加だ。女性の15歳から64歳の「就業率」は、60.9%から69.4%に大きく上昇したのである。
しかも、結婚や子育てでの退職が減り、産休や育休をとって再び職場に復帰するケースも増えている。これが女性の就業率上昇を下支えしている。
もうひとつが65歳以上の高齢者の就業者が増えたこと。アベノミクスの一環として打ち出した「一億総活躍」の効果と見ることができる。65歳以上の就業者数は安倍内閣発足時の592万人から869万人へと、277万人も増加した。これもアベノミクスによる「生涯現役」「人生百年時代」の成果と言えるだろう。
雇用が増えているのに、なぜ消費が盛り上がらないのか。原因はいろいろ考えられるが、ひとつは「可処分所得」が増えていないこと。手取りが増えないので、財布のヒモが緩まないのである。その理由は、高齢者や女性は正規雇用よりもパートや契約社員などの非正規雇用が多いため。給与も総じて低い。もうひとつは、正規社員でも、年金掛け金など社会保険の負担が増え続けてきたため、手取りがなかなか増えなかったのである。
もちろん、安倍首相も手をこまねいているわけではない。経済界に繰り返し賃上げを求めているのも、手取りを増やして、それが消費に向かう「経済好循環」を期待してのことだ。
すでに5年連続でベースアップが実現。今年は首相自ら「3%の賃上げ」を要請したこともあり、賃金の上昇が始まっているとみられる。可処分所得が増えてくれば、消費におカネが向かい、それが企業収益を押し上げるという循環が始まることになる。
一方で、人口が減る中で、日本の消費は増えない、という見方もあり、安倍首相の呼びかけも「無駄な努力だ」という専門家もいる。東京オリンピック・パラリンピックに向けて訪日外国人も増える中で、日本の消費は盛り上がるのか。それがアベノミクスの本当の評価につながっていくことになる。