「副業できないから」会社を辞めた、とある新聞記者の話に思うこと

4月4日の現代ビジネス(講談社)にアップされた拙稿です。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63940

 

外で書けない新聞記者

またひとり、後輩のジャーナリストが会社を辞めた。50歳前後で実績もあり、働き盛りで、それなりの給与を得ていたにもかかわらず、組織ジャーナリズムを「卒業」したという。

ささやかな壮行会で理由を聞いた。

会社には一身上の都合という決まり文句で辞表を出したが、本当は「本を書きたい」からだという。本を書きたいのなら新聞社にいた方が出版が容易ではないか、過去にたくさんの先輩ジャーナリストが自分の新聞社から本を出しているではないかと聞いたところ、最近は事情が違うらしい。

まず、本を書くのは「社業」という扱いに変わったのだという。

昔は別の会社の雑誌に寄稿したり、本を書いたりするのは「余業」、いわばアルバイトとして扱われ、原稿料や印税は記者が当然のように自分の副収入としていた。今はやりの「副業」を実質的に黙認してきた会社が多かった。自分の新聞社の出版部門から本を出さずに、わざわざ文芸系出版社から毎回出していた著名新聞記者も存在していた。

新聞社内には、そうした「他流試合」をむしろ奨励する雰囲気もあった。新聞では書けない話を週刊誌や業界誌に書くことで、記者の教育に役立つと考えていたのだろう。

筆者も入社5年目で東京本社勤務となった時、部長に呼び出された。

「君はなかなかの手練れだそうじゃないか。この雑誌のコラムの仕事を譲るから毎月書いてあげてくれ」

といきなりアルバイトを指示された。

分かりましたと引き受けて戻ろうとすると、その部長氏は付け加えた。

「おお、外の原稿の締め切りは絶対守れよ。信用を失ったら二度と仕事は来ないぞ。君の信用じゃない、うちの新聞の信用だからな」

これも教育の一環かと思ったものだが、後々判明したのは、くだんのコラムは原稿料の安さから部長氏が手離したくて仕方がなかったものだった。若手編集委員に「ええ、押し付けられたのか」と大笑いされた。

まあ、新聞社の全盛期。おおらかな時代だったと言えるだろうが、そんな自由な雰囲気の中で記者は着実に育っていった。

特定の業界に精通して業界紙からの仕事が増え、本業の新聞社より高い収入を得ていると豪語していた先輩記者がゴロゴロいた。ベストセラーを書いて家を建てた、という伝説の大記者もいた。

それがここ10年でまったく変わったのだという。

統制の中身

会社の名刺で取材したものを利用して書いたものはすべて会社の財産だ、という話になっているらしい。他の雑誌に書くのも、自分で本を書くのも、会社の許可が必要で、印税の大半を会社に納めるルールだという。

これは私の古巣だけでなく、他の新聞社やテレビ局も似たようなルールになっているようだ。

会社にまったく関係のない分野の原稿、たとえば小説を書く場合でも、会社の許可が必要で、しかも、自社の出版局が出版を拒否した場合にしか他の文芸出版社で出せないという話も聞いた。

認められた場合でも、経歴に会社名は一切出してはいけない、という不思議なルールも付いている。本名を一文字だけ漢字をかえたペンネームで本をだした古巣の現役社員を2人知っている。

会社を辞めるに当たって、取材で得た情報は一切使わないという念書を書け、メモ帳はすべて会社に提出せよ、と言うという話も聞く。さすがにメモまで提出して辞めたという実例は聞いていないが、会社は社員の脳味噌まで会社の財産だと思っている、ということなのだろうか。

実際に辞めた会社の後輩はため息をつきながらこう言っていた。

「印税などカネはどうでも良いのです。しかし著作権まで会社のものだと言われると、自分の作品を自分で再利用することもできなくなります。会社にいる限り、自分の本は出せないと思い、辞めるタイミングを考えていました」

副業解禁だから囲い込む

働き方改革の一環として、「副業」や「複業」の解禁が唄われている。時代が複雑化する中で、企業が終身で雇用し続け、同じ仕事だけを提供していくことが難しくなっていることが背景にある。

そうした柔軟な雇用関係に変えるには、自立した個人を育てることが不可欠になる。そうしたことから、副業解禁の流れが生まれているわけだ。

ところが、そんな中で、どこまでが会社の財産なのか、社員が身に付けたノウハウは誰のものなのか、といった問題がどんどん大きくなっている。

業務上知り得た情報を転職先などに伝えてはいけないとする守秘義務の規定は当たり前に存在するが、その範囲がどこまで及ぶのか。顧客名簿や製造方法といった分かりやすいものだけでなく、熟練技能やノウハウ、コツといったもののどこまでが会社の財産と言えるのか。

当然、企業側は自社の利益を損なわないよう、どんどん拡大解釈して、辞めていく社員に過剰な守秘義務契約を結ばせようとするだろう。一方で、自分の知識やノウハウを使ってはいけないとなったら、転職することなど不可能になってしまう。

法律ですべてを規定するのは難しいだろうから、裁判になるケースも増えるに違いない。だが、会社を辞めてひとりで勝負しようとしている個人が、大組織を相手に裁判を戦うことは時間的にも金銭的にも不可能だ。

新聞社などが副業のルールを厳格化した結果、何が起きたか。(一部を除き)若手の記者はまったくと言ってよいほど「他流試合」をしなくなった。組織ジャーナリズムの中で書く事だけがすべてなのだから、会社に従順な記者だけが尊重され生き残っていくことになるわけだ。

そんな枠にはまった仕事しか認められない新聞社で、本当のジャーナリストは育っていくのか、老婆心ながら心配でならない。