株価維持に使われた"日本人の年金"の末路 運用赤字は"14兆円"では止まらない

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海外投資家の「日本株売り」が続いている

海外投資家による「日本株売り」が目立っている。日本取引所グループ(JPX)が発表している投資部門別売買状況によると、海外投資家は2018年11月12日から2019年1月18日まで10週連続で「売り越し」となった。1月21日から25日の週は久しぶりの「買い越し」だったが、本格的な買いを伺わせる勢いには乏しい。2月7日に発表した1月28日から2月1日の週は「売り越し」となった。

2018年1年間の合計でも、海外投資家は5兆7402億円の売り越しだった。2012年末に第2次安倍晋三内閣が発足し、アベノミクスが始まって以降、最大の売り越しである。一方で、2012年以降、大量に売り越してきた「個人」が、3695億円の売り越しと、少額の売り越しにとどまった。海外投資家が日本株を「見限る」一方、「個人」が比較的強気になっていたことが分かる。

また、年間で「買い越し」ていたのは事業法人の2兆5705億円、投資信託の1兆4172億円といったところ。事業法人の買いは、上場企業による自社株買いとみられる。投資信託は個人が投資信託を買って間接的な株式保有を増やしたようにもみえるが、実際には日本銀行によるETF(上場投資信託)を通じての日本株買いの可能性が高い。

また、「信託銀行」も年間で1兆5065億円買い越した。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)などの年金マネーが株式を購入する場合、この統計では「信託銀行」に表れるとされる。

海外投資家が売上高の過半を占める市場

つまり、海外投資家の大量の売りを、自社株買いや日銀、年金マネーが買い支えた、という構図が浮かび上がってくる。

東京株式市場は売買高の過半を海外投資家が占めるユニークな市場だ。このため、日本株のファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)自体よりも、為替や海外の金融情勢などに大きく振り回される。円高になると株価が下がり、円安になると株価が上がるといった乱高下を繰り返している。これも、ドルベースで日本株を見ている海外投資家が多いからだとされる。

日経平均株価が上昇するかどうかも、海外投資家の動向に大きく左右される。昨年秋以降、日経平均株価が大きく下げたのも、冒頭に示したような10週連続の海外投資家の売り越しが響いていた。

海外投資家はアベノミクスが始まった2013年に15兆円を買い越した。日経平均株価が戻ってきたところへ「個人」はやれやれの売り物をぶつけ、8兆7508億円も売り越したが、日本を再び成長軌道に乗せるという安倍晋三首相の方針に「期待」した海外投資家が多かった。

海外投資家が日本株を「見限った」理由

だが、2015年以降、海外投資家は慎重姿勢を強めてきた。2016年には3兆6887億円を売り越した。アベノミクスへの期待がはげ、「やはり日本は変わらない」といった諦めに似た見方が海外投資家に広がったのだ。2018年はほぼ一貫して売り越したが、秋以降は売り姿勢を強めた。

なぜ、海外投資家は日本株を「見限り」、それ以降も本格的に買いに入って来ないのだろうか。

通常国会で野党の最大の攻撃材料になっている「毎月勤労統計」の調査不正問題がボディーブローのように効いている。不正が始まった段階ではおそらく罪の意識がなく、ケアレスミスだったに違いない。だが、問題に気付いて以降、内部で勝手に修正をし、問題を糊塗しようとしていた疑いが強まっている。また、問題が発覚した後の検証や調査も極めて杜撰で、当事者のヒアリングに外部者がひとりも立ち会っていなかったことなどが次々に明るみに出ている。

政府は、過去から続いたミスだとして早々の幕引きを図っているが、問題を矮小化して早期に決着しようという姿勢がミエミエである。

日本の調査統計への信用が大きく揺らいでいる

海外投資家が首をひねるのが、毎月勤労統計の中で調査されてきた「賃金」の実態。安倍首相は就任以降「経済好循環」を掲げて財界首脳に「賃上げ」を求めてきた。為替が円安に振れたことで企業収益が大幅に改善したが、それが給与の増加につながり、さらに消費へと結びつくことが重要だと強調していたのだ。ところが、毎月勤労統計調査の不正によって、2018年の実質賃金は本当に上昇していたのか、実態がよく分からなくなっているのだ。

少なくとも2018年6月の公表結果で3.3%としていた賃金上昇率は、実際には2.8%だったことが現段階で明らかになっており、それもサンプル入れ替えの影響が大きいことが国会審議などで明らかになっている。アベノミクスの「成果」として強調されていたことが、実は、統計手法の不正や調査対象の入れ替えによって出来上がっていたのではないか、という不信感が強まっている。野党は「アベノミクス偽装」だと批判を強めている。

安倍首相は調査結果をコントロールすることは無理だとしているが、日本の調査統計に対する世界の信用が大きく揺らいでいることは間違いない。

官僚機構への信頼が瓦解している

この1年あまり、日本の官僚機構に対する信頼は瓦解していると言っても過言ではない。2018年の2月には裁量労働を巡って安倍首相が答弁に使った調査データが、そもそも比較不能だったことが明らかになり、法案から裁量労働制を拡大する部分を削除する大失態を演じた。3月には森友学園問題を巡る財務省の公文書改ざんが明らかになって大問題となり、官僚OBらからも「前代未聞」と批判された。

また、障害者の法定雇用率を巡って、霞が関の多くの省庁で「水増し」されていたことが8月には明らかになっている。そして、年末には国の「基幹統計」で相次いで不正が発覚した。

株式投資をするうえで、その国の経済実態がどうなっていくかを予測することは極めて重要だ。景気が悪くなる国の株価をわざわざ買う投資家はいない。日本の統計が当てにならないということになれば、日本株は買えない、ということになってしまう。

「日本で取締役は危険」が欧米の常識に

もうひとつ。昨年11月に突然逮捕され、今も勾留が続くカルロス・ゴーン日産自動車前会長の問題も、多くの海外投資家に「日本は異質だ」という印象を与えている。ゴーン前会長が日産自動車を私物化していた点は庶民感情を刺激するには十分だが、それが本当に特別背任罪となるだけの犯罪行為だったのか。ゴーン氏は無実を主張し、すべて合法的に社内決裁を経ているとしている。

本人が罪を認めず長期の拘留を続ける手法を、「前近代的」だと感じている欧米人は少なくない。「日本で取締役になるのは危険だ」という見方が、今や欧米ビジネスマンの間では常識になりつつあるという。

海外投資家に見放された日本株市場は、そう簡単には「上値を追う」展開にはならないだろう。アベノミクス開始以降に買い越した分を、今後も海外投資家が売ってくれば、日銀や年金マネーが買い支えるのにも限度がある。

年金マネーによる株式投資の結果

GPIFが2月1日に発表した2018年度の第3四半期(10‐12月期)は、期間収益が14兆8039億円の赤字となった。収益率としてはマイナス9.06%という、大幅な損失である。日本を含む世界の株式相場が下落したことで、資産の評価額が大きく目減りした。

安倍内閣は年金マネーによる株式投資を推進したため、今や150兆円あるGPIFの資金の半分は国内外の株式で運用されるようになった。第2次安倍内閣が発足した2012年12月段階では112兆円の資産の60.1%は国債を中心とする「国内債」で運用され、「国内株式」は13%にすぎなかった。

それが、今や国内株式で24%を運用、国内債券は28%にまで減っている。外国株式も10%未満から24%へと大きく増やした。

安倍内閣は「デフレからの脱却」を掲げ、デフレからインフレへという経済構造の転換を目指してきた。このため、金利が上昇すれば価格が下落することになる債券を持ち続けるよりも、成長が見込める株式にシフトすることが、ある意味合理的だったともいえる。

だが、当然、株式は債券以上に価格変動リスクが大きい。四半期ごとに10兆円を超す損益が出て、それに一喜一憂する体制になったわけだが、そうした年金資産の増減を国民が納得しているのかどうか、今ひとつ判然としない。

債権中心への「逆戻り」は難しい

GPIFは米国のカリフォルニア州職員退職年金基金CalPERS)などを例に、株式投資が世界の流れだと説明してきたが、米国の社会保障信託基金は全額米国債で運用されている。150兆円をマーケットで運用している基金というのはGPIFがダントツで大きいのだ。

問題は、GPIFが今後、株式から債券中心に「逆戻り」することが難しいことだ。35兆円を超す金額を日本の株式市場に投じてしまったGPIFは、「池の鯨」状態。身動きをすれば池の水があふれるように、影響力がデカすぎるのだ。保有株の1割を売ろうと思えば、株価を大きく下落させることになってしまう。そうなれば自らのクビを絞めるから、売ろうにも売れないのだ。

海外投資家が見限った日本市場を、GPIFも日銀も見限ることができなくなっているということを、国民は覚悟すべきだろう。

公的年金15兆円の損失で、そろそろ考えるべき「逃げるタイミング」 安倍政権が頼む順回転は終わった

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当然の大損

そろそろ年金運用の「日本株頼み」は見直す時期なのだろうか。

年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が2月1日に発表した2018年度第3四半期(10-12月期)の運用成績は、14兆8039億円の赤字となった。期間収益率としてはマイナス9.06%という、大幅な損失である。

日本を含む世界の株式相場が下落したことで、資産の評価額が大きく目減りしたことが響いた。年度の通算(4月から12月まで)収益率もマイナス4.31%、額にして6兆7668億円の損失となった。

株価下落の影響をモロに受けているわけだが、株価が運用成績に直結するようになったのは、株式で運用するウェートを大きく高めたため。逆に言えば、株価が上昇した時は巨額の利益がもたらされる。

2017年度は第3四半期までに15兆円の利益を稼いだが、最後の3カ月で5兆円を失い、年度では結局10兆円のプラスになった。株価の上下に一喜一憂する体制になっているわけだ。

GPIFは大きく分けて、国内外の債券と、国内外の株式に分散投資している。かつては7割を債券で運用していたが、第2次安倍晋三内閣で株式に大きくシフトした。現在は、国内株式24%、外国株式に24%と、ほぼ半分を株式に投じている。債券は国債を中心とする国内債券に28%、外国債券に17%だ。残りは「短期資産」に回っている。

アベノミクスの蹉跌

安倍内閣はかねてから、「デフレからの脱却」を掲げ、2%を目標にインフレを目指してきた。インフレによる金利上昇を目指すわけだから、債券価格は下落することになるので、債券から株式へというシフトは合理的だったともいえる。

ところが、ここへ来て、2%のインフレ率がなかなか達成できないうえ、デフレに回帰しそうな気配さえ伺える。また、日経平均株価も昨年秋以降、低迷が続いている。

日本経済は成長力を取り戻すので、日本株は上昇を続ける、という安倍内閣の主張をすんなり受け入れられる状況にはなくなっているのだ。アベノミクスの成果を疑う野党を中心に、年金運用での株式依存の危うさを指摘する声は根強い。

GPIFの株式シフトで、株式市場に多額の年金マネーが流れ込んだが、それもいつまで続くわけではない。

GPIFは基本ポートフォリオ(資産運用割合)を決めており、国内株式については25%ということになっている。上下9%の乖離幅が認められているが、これは保有株の評価額が大幅に増加した場合などを想定しているためで、34%まで買い進むことを前提にしているわけではない。

第2次安倍内閣が発足した2012年末当時、GPIFの日本株投資は全体の12.9%で、14兆4598億円に過ぎなかったがピークの2018年9月末には43兆5646億円に達した。何と30兆円近くも増えたのである。

それが結果的に日本株を買い支えることになり、株価の上昇を支えてきた一因になった。GPIFが株を買うから株価を下支えし、GPIFの資産価値も保たれるという構図が続いてきた。株価が下がったらGPIFが買い支えることができるうちは良いが、いつまでもそれが続くのかどうか。

GPIFは国民の年金財産を運用会社に委託して市場運用しているが、それがそのまま年金支払いの原資になっているわけではない。国の年金特別会計などから寄託されたものを運用する仕組みで、運用成績などを見ながら特会に納付する。

GPIFには今でも毎年数兆円規模の資金が特別会計から流れ込んでいる。つまり、まだその分で株式を取得することが可能だ。GPIFによる株式の売買の姿は見えにくい。年金運用の受託会社などが株式を売買する際に表れるとされる「信託銀行」の売買は2018年の年間で1兆5000億円を超す買い越しになった。

日本の年金が生き残るために

だが、今後、日本の年金制度は試練を迎える。年金を払い込む人が減る中で、年金を受け取る人が大幅に増えていくのだ。国民全体でみても、金融資産の取り崩しが始まるタイミングが来ると懸念されている。それでも株価は上昇し続けるのか。

これまで、アベノミクスへの期待から日本株を買ってきた海外投資家にも変化がみられる。日本取引所グループ(JPX)がまとめている投資部門別売買動向によると、2018年の52週のうち、海外投資家が「買い越し」たのはわずか16週のみ。年間のトータルで5兆7402億円を売り越した。

海外投資家はアベノミクスが始まった直後の2013年に15兆円を買い越したが、それ以降、最大の売り越しである。

日本の株式市場は海外投資家による売買が過半を占め、その影響力が大きい。これまで日本株を買い進めてきた海外投資家が本格的に売りに転じ、それを日本の年金マネーが拾い続けていけば、年金資産が日本株に固定化されることになりかねない。

年金が売ろうとすると、株価が下がり年金自身の首を絞めることになれば、売りに売れない資産になってしまう。

そうなる前に、成長余力の高い国の株式などにシフトし、分散投資をするのが本来の年金運用だろう。年金運用は利回りを上げて年金資金を確保するのが狙いで、株価を上げるのが目的ではないことは明らかだ。

"国民のため"に統計を操作する官僚の驕り これでは政策の効果が検証できない

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「なぜ」が不明なうちに、さっさと処分を決定
厚生労働省は1月22日、年明けに発覚した「統計不正」問題で、鈴木俊彦事務次官ら計22人の処分を発表した。鈴木次官と宮川晃審議官は訓告、調査を担当した元職員らを減給などした。加えて、根本匠厚労相は4カ月分の給与と賞与を全額返納。副大臣政務官事務次官、審議官ら計7人も給与を自主返納する。

何とも早い対応である。特別監察委員会(委員長、樋口美雄労働政策研究・研修機構理事長)が同日、中間報告を公表したとはいえ、肝心の「なぜ」そんな不正が続いていたのかも明らかになっていない中で、さっさと処分を決めたのは、早期の幕引きをはかりたいとの意図が見え見えである。

不正があったのは厚労省が発表している「毎月勤労統計」。従業員500人以上の大企業について、本来は「全数調査」をしなければならないにもかかわらず、東京都については、2004年からほぼ3分の1の「抽出調査」しかしておらず、全数調査と違いが生じないようにする統計学的な補正も行われていなかった。

2000万人に600億円を追加支給することに
問題が大きくなったのは、その調査結果で得られた現金給与総額の伸び率である「賃金指数」が、雇用保険労災保険船員保険などが支払われる際の算定基準として使われていたこと。大企業の一部を除外した格好になるため、現金給与総額が本来より低い数字に抑えられていた。年初段階で厚労省は、計算上564億円が過少に給付されていた、と発表した。

しかも、その対象になる人数がのべ2000万人を超えることが明らかになったことから、大騒ぎとなったわけだ。早々に政府は、過少給付分を全額、追加支給する方針を表明。金利など37億円と合わせて600億円あまりの支払いが生じることとなった。すでに閣議決定していた2019年度予算の修正を行わざるを得なくなったことから、厚労省の責任問題に発展していた。

早期の幕引きへ処分を急いだ背景には、首相官邸の強い意向があったとされる。というのも、安倍首相周辺は一様に「ある問題」を思い出したからだ。

「データ不備」は安倍首相らのトラウマ
2007年の「消えた年金記録」問題である。当時の社会保険庁(現・日本年金機構)のデータ不備が発覚、年金記録5000万件が消えているとして大騒ぎになった。これが第1次安倍晋三内閣の支持率を急落させ、わずか1年の短命内閣として崩壊するひとつの原因になった。それが安倍首相らの「トラウマ」になっている、と官邸の幹部は言う。今回の統計不正の影響が2000万人にのぼるとあって、安倍官邸には大きな衝撃が走ったわけだ。

問題を公表した1月11日から14日までの4日間だけで、過少給付に関する問い合わせが1万2000件以上に達したことが明らかになり、国民の不満が燎原の火のごとく広がる懸念が強まっていた。だからこそ、処分を急いだのである。

また、今回の問題を「過去の問題」として矮小化しようという意図も透けてみえる。事務次官と審議官を除く処分対象者20人のうち、現職は4人だけ。すでに退職している官僚が16人にのぼる。2004年以降、統計に直接携わった人たちだ。

処分の理由はあくまで「全数調査」すべきなのを「抽出調査」にした「不適切」な手法を、問題だと気付きながら、前任から踏襲したというもの。あくまでも「初歩的なミス」ということにしている。不正の意図はなかった、ということで問題を終わらせようとしているわけだ。

「不正ではない」と結論づけていいのか
確かに、全数調査すべきところを東京都だけ抽出調査にしたのは、作業量を抑えるためだったのだろう。厚労省が2003年に作った厚労省のマニュアル「事務取扱要領」に「全数調査でなくても精度が確保できる」とする記述があり、翌年から抽出調査になっていたとされる。今回の問題発覚する前まで、「抽出調査」を東京都だけでなく、大阪や愛知などにも広げようと準備をしていたことも明らかになっており、まったく「悪意」がなかった傍証とも言える。

過去から続いてきた調査方法の不備は、確かに統計法違反で、保険支給に多大な影響を与えたが、それ自体が「不正」として悪質性の高いものではないように見える。厚労省が言うように「不適切」な「基本的ミス」ということかもしれない。

それでは問題はない、不正ではない、と結論づけていいのか、というとそうではない。問題は、統計手法に問題があると気づいて以降の対応だろう。

2015年になって前述のマニュアルから、抽出調査で問題ないとする記述が消えた、と報じられている。つまりこのタイミングで、厚労省は問題に気づいていたということである。

ちょうどこのタイミングで、ひとつの動きがあった。

公式な会議で見直しを「指示」した麻生氏
2015年10月16日に首相官邸で行われた経済財政諮問会議。その席上、麻生太郎副総理兼財務相が、毎月勤労統計について「苦言」を呈しているのだ。

「毎月勤労統計については、企業サンプルの入れ替え時には変動があるということもよく指摘をされている。(中略)統計整備の司令塔である統計委員会で一部議論されているとは聞いているが、ぜひ具体的な改善方策を早急に検討していただきたいとお願いを申し上げる」

公式な会議で、正式に見直しを「指示」されたのだ。厚労省はこれを受けて、統計手法の見直しに着手する。従業員30人以上499人以下の事業所についてはもともと「標本調査」を行っていたが、その対象入れ替えの方法を変えたのだ。

実は、麻生氏がこの調査にかみついたのには理由があった。ほぼ3年に1度行われてきた対象入れ替えは、「総入れ替え」して行われていた。2015年1月にも総入れ替えが行われたが、過去にさかのぼって実績値が補正された。その結果、安倍政権が発足した2012年12月以降の数字が下振れしてしまったのだという。安倍政権発足以降も賃金が下がっている、というのはおかしいのではないか。麻生氏が指摘したというのだ。

「サンプル入れ替え」の影響に気付いていたはず
おそらく、このタイミングで、厚労省の担当者は全数調査とされていた500人以上の大企業が東京都では抽出調査になっていたことに気づいたはずだが、それでも調査方法を全数調査に戻すことはしなかった。この辺りから、意図的な隠蔽が始まったとみていいのではないか。

調査方法の見直しによるサンプル入れ替えが実施された2018年1月以降、賃金指数が非常に高い伸びを示した。麻生大臣にはご満悦の結果になったわけだが、統計を見ているエコノミストの間からは疑問の声が上がった。

名目賃金6月 3.6%増、伸び率は21年ぶり高水準」(日本経済新聞

「6月の給与総額、21年ぶり高水準 消費回復の兆しも」(産経新聞

2018年8月8日、新聞各紙はこう一斉に報じた。厚労省が発表した現金給与総額の伸びの速報値である。その後の確定値では、5月が対前年同月比で2.1%増、6月は3.3%増となったが、このデータが景気回復と賃金上昇を裏付けることになったことは間違いない。ところがエコノミストから「数字が変だ」という指摘が相次いだのである。

実は、対象入れ替えが大きな影響を及ぼしていることに厚労省は気づいていた。そのため、「継続標本」での比較という資料を公表していた。入れ替えの前後で共通するサンプルだけで比較した場合、5月は0.3%増、6月は1.3%増であるという。もちろん、新聞記者はそんな数字には全く気が付かず、厚労省が発表した統計数字を「21年ぶりの高水準」と報じたわけだ。

達成されていなかった「3%の賃上げ」
安倍首相はかねて経済界の首脳たちに、賃上げの拡大を求めてきた。2018年の春闘では「3%の賃上げ」と具体的な数値を示していた。つまり、毎月勤労統計の数字は、「公約」が守られたことを「証明」する数字だったのだ。これが報じられた8月は、自民党総裁選に向けて自民党有力者たちの立候補の動きが注目された時期である。

今回、明らかになった「不適切」な統計によっても、この数字が押し上げられていたことが明らかになった。厚労省の再集計によると、6月の賃金指数の伸びは2.8%。サンプル入れ替えを問題なしとしても、抽出調査の影響で0.5%も低かったことが判明したのだ。3%という公約は、実際には達成されていなかったことが明らかになった。

日本の統計は政治家や官僚たちに都合のよいように、恣意的に操作されているのではないか。そんな疑念が広がる。政策決定の基礎である統計が操作されていたとすれば、その政策決定自体が歪んでいることになりかねない。

厚労省は昨年2018年にもデータで大チョンボを引き起こしている。安倍首相の答弁用に用意した裁量労働を巡るデータが都合よく加工されたものだったのだ。

「都合のよいデータ」を使うのは官僚の常套手段
安倍首相は1月29日の衆議院予算員会で、「平均的な方で比べれば、一般労働者よりも(裁量労働制で働く人の労働時間が)短いというデータもある」と発言した。ところが、その前提だったデータは、調査方法が違う2つの結果をくっつけたもので、本来は単純に比較できない代物だったのだ。

安倍首相は答弁を撤回しただけでなく、裁量労働制拡大を「働き方改革関連法案」から削除するところまで追い込まれた。なぜ、そんなデータを首相答弁用に作ったか、今も真相はやぶの中だ。法案を通したい安倍首相に「忖度」したとも、逆に裁量労働制拡大を潰すために仕掛けた「自爆テロ」だとも言われている。いずれにせよ、官僚が自分たちに都合のよいように鉛筆をなめていたのだ。

自分たちに都合のよいデータを使って政策説明をする、というのは霞が関官僚の常套手段になっている。政策官庁自身が多くの統計を自分たちで調査していることも、そうした「操作」の温床になっている。政策が正しいかどうか、あるいは、政策実施によって効果が表れたかどうか、中立的な統計が保証されていなければ、実態が分からない。

霞が関からは、不適切な調査が行われたのは人手不足だからだという声が出始めている。欧米に比べて公務員数は少ないのだから、増やせというのだ。霞が関の真骨頂である「焼け太り」だ。独立性を重視した統計を目指すならば、いっそのこと、すべての統計作業を民営化するなり、民間シンクタンクに委託するべきではないか。

オーダーメイド”ハンガー”という世界

WEDGE 1月号(12月20日発売)に掲載の「Value Maker」です。

Wedge (ウェッジ) 2019年 1月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2019年 1月号 [雑誌]

 高級な背広やドレスをオーダーメイドするようなオシャレに敏感な人でも、その服をかけるハンガーにまで気を使っている人は少ないのではないか。
 「誰でも必ず使っているのに、深く考えた事がないモノの代表格がハンガーでしょう」
 そう言って笑うのは「NAKATA HANGER」を展開する中田工芸の中田修平社長。服は身体に合わせて縫製するが、服をかけるハンガーは一般に売られているものだと、形や大きさはほぼ同じ。服に合うハンガーを選んで使えばまだいいが、服を買った時に付いてくるプラスチック製のハンガーや、クリーニングから戻ってきた針金のハンガーにつるしたまま、洋服ダンスにしまっしまうケースも少なくない。
 NAKATA HANGERはそんな常識を打ち破り、洋服にフィットするハンガーを提案している。S・M・Lのサイズに合わない体格の人や、色や形にこだわりの強い人向けには、オーダーメイドのハンガーも作って世に送り出している。
 それができるのは、兵庫県豊岡市で木材から職人が機械を使って彫り出す手作りハンガーを製造しているからだ。中田工芸は1946年の創業以来、一貫してハンガーの製造・販売を行ってきた。木材ハンガーを国内で大量生産しているメーカーは今や中田工芸だけ。メーカーの多くは中国などから入ってくる安価な輸入品に駆逐されて国内製造を断念していった。
 ハンガーの最大の需要先はアパレルメーカーで、ショップに服を陳列する際の必需品だ。高級婦人服ブランドのブティックで使う、色や形にこだわったハンガーの注文などを受けてきたが、90年代ごろから中国製品が入って来て「価格勝負」になっていった。中田工芸も台湾のパートナー会社に低価格品の製造を委託、激しい価格競争を何とか生き残ってきた。
 そんな中、修平さんの父で現会長の中田孝一さんは、個人客向けのハンガーを作って販売する「BtoC」に力を入れ始める。価格勝負になりがちなファッション業界用から、より高付加価値の個人用へと舵を切ろうと考えたのだ。そこへ、ちょうど米国の大学を終えて戻った修平さんが入社する。2007年のことだ。
 「アメリカまで行って田舎に戻るのは正直嫌だったのですが、東京の青山に店を開くというので、面白そうだと思ったのです」と修平さん。入社して初めての仕事が青山のショールーム作りだった。
 家業とは言え未知の世界に飛び込んでみると、そこには大きな資産の山があるように見えた、という。当時でも60年以上の歴史があり、確かな技術があり、ハンガーづくりへのこだわりや思いがあった。それを消費者に伝えていけば、必ず価値を見出す人たちがいる。そう確信したのだという。
 それまでは、「どんな良い商品でも安くしないと売れない」という考えが全社的に染みついていた。価格勝負が当たり前になっていたのだ。修平さんが、良いものなら高く売れると説いても、社員は半信半疑だった、という。
 モノづくりの発想も違った。取引先から言われた通りのモノを忠実に作るのがメーカーの役割だという考えが染み込んでいた。どんなハンガーが良いか、消費者に提案することなど、考えてもいなかった、というのである。
 青山のショールームでは「NAKATA HANGER」というブランドを前面に押し出した。中田工芸という社名では何の会社か分からない。ハンガーの後ろに付けるロゴも作ったが、豊岡で製造したものにしか、このブランドを付けないことに決めた。国産品を徹底して高付加価値商品として売ることにしたのだ。
 きちんとした価格で売れば、その分、腕の良いハンガー職人の給与を引き上げて報いることができる。人手不足の中で、きちんとした給料を払わなければ将来を託せる人材は集まらない。そうなれば、技術の伝承もままならない。経済の循環を維持し続けるには、良い商品をきちんとした価格で売る高付加価値路線が何よりも大事なのだ。

一枚板から削り出す
 そうして生み出された定番品のNH-2という商品は、特別な厚みの一枚板から職人が南京鉋(がんな)などの道具を使って削り出していく職人技が光るハンガーだ。幅43センチメートル、厚さ6センチメートルの重厚なもので、紳士用のジャケットなどをかける高級感があふれる逸品だ。販売価格1本3万円(税別)のこのハンガーを作れる腕を持っているのは中田工芸の職人の中でもわずか2人。商品名のNHはもちろんNAKATA HANGERの略だ。
 左右をつなぎ合わせた通常の作り方で仕上げたAUTシリーズの紳士用スーツかけは、人工工学に基づいて削った滑らかな湾曲が特長で、洋服を掛けた時のフィット感にあふれる。4000円から5000円(税別)の価格帯だ。
 業界の常識からすれば「かなり高い」NAKATA HANGERは、百貨店の紳士向けのこだわり商品のコーナーに置かれたり、高級ホテルのスイートルームで使われるなど、少しづつ知名度が広がっていった。
 そんな「国産」「職人技」へのこだわりが、思いもかけないコラボに結びついた。石川県輪島で、輪島塗の伝統を守り続けている千舟堂から声がかかり、NHに輪島塗を施した最高級のハンガーを作ることになったのだ。付け根の部分に赤富士の蒔絵を施したハンガーは1本15万円(税別)である。
 「今では3000円のハンガーだと、安いねと言ってもらえるようになりました」と中田社長は言う。
 中田工芸の個人向け商品の割合は今や4割。全体の売り上げの伸びは小さいが、付加価値の高い個人向け商品の割合が大きくなることで利益体質になっている。だが、今後もファッション業界向けは減少が懸念されている。アパレルの通信販売が広がり、実際の店舗に洋服を展示せずに販売される形が急速に広がっているからだ。店舗で洋服をつるす必要がなくなれば、ハンガーは不要になる。ますます個人向けに力を入れなけれれば会社の発展はない。
 「世界一のハンガー屋になりたい」。17年、父親の跡を継いで3代目の社長に就任した修平さんは言う。海外展開は父の代からの夢だったが、もはや夢ではない。海外で日本製の商品が注目されているのだ。海外の展示販売会で2日で100本のハンガーが売れるなど、NAKATA HANGERは世界でも知られた存在になり始めている。社長自ら、シンガポールや英国に売り込みをかけている。
 本家本元の英国で、日本製のハンガーを認めさせるーー。そんな目標も視界に入って来た。「会社の規模を大きくするというのではなく、世界一感動してもらえるハンガーを世界に広めていきたい」と抱負を語っていた。

新聞部数が一年で222万部減…ついに「本当の危機」がやってきた 新聞は不要、でいいんですか?

現代ビジネスに1月24日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59530

ピークの4分の3
ネット上には新聞やテレビなど「マスコミ」をあげつらって「マスゴミ」呼ばわりする人がいる。論調が自分の主張と違うとか、趣味に合わないとか、理由はいろいろあるのだろうが、「ゴミ」と言うのはいかがなものか。ゴミ=いらないもの、である。新聞は無くてもよいと言い切れるのか。

新聞を作っている新聞記者は、全員が全員とは言わないが、言論の自由報道の自由が民主主義社会を支えているという自負をもっている。権力の暴走をチェックしたり、不正を暴くことは、ジャーナリズムの重要な仕事だ。日本では歴史的に、新聞がジャーナリズムを支えてきた。

だが今、その「新聞」が消滅の危機に直面している。毎年1月に日本新聞協会が発表している日本の新聞発行部数によると、2018年(10月時点、以下同じ)は3990万1576部と、2017年に比べて222万6613部も減少した。14年連続の減少で、遂に4000万部の大台を割り込んだ。

新聞発行部数のピークは1997年の5376万5000部だったから、21年で1386万部減ったことになる。率にして25.8%減、4分の3になったわけだ。

深刻なのは減少にまったく歯止めがかかる様子が見えないこと。222万部減という部数にしても、5.3%減という率にしても、過去20年で最大なのだ。

新聞社が販売店に実際の販売部数より多くを押し込み、見かけ上の部数を水増ししてきた「押し紙」を止めたり、減らしたりする新聞社が増えたなど、様々な要因があると見られるが、実際、紙の新聞を読む人がめっきり減っている。

このままでいくと、本当に紙の新聞が消滅することになりかねない状況なのだ。

若い人たちはほとんど新聞を読まない。新聞社に企業の広報ネタを売り込むPR会社の女性社員でも、新聞を1紙もとっていない人がほとんどだ、という笑い話があるほどだ。

学校が教材として古新聞を持ってくるように言うと、わざわざコンビニで買って来るという笑えない話もある。一家に必ず一紙は購読紙があるというのが当たり前だった時代は、もうとっくに過去のものだ。

「いやいや、電子版を読んでいます」という声もある。あるいはスマホに新聞社のニュースメールが送られてきます、という人もいるだろう。新聞をとらなくても、ニュースや情報を得るのにはまったく困らない、というのが率直なところに違いない。

このままいくと…
紙の発行部数の激減は、新聞社の経営を足下からゆすぶっている。減少した1386万部に月額朝刊のみとして3000円をかけると415億円、年間にすればざっと5000億円である。新聞の市場規模が20年で5000億円縮んだことになる。

新聞社の収益構造を大まかに言うと、購読料収入と広告収入がほぼ半々。購読料収入は販売店網の維持で消えてしまうので、広告が屋台骨を支えてきたと言える。

発行部数の激減は、広告単価の下落に結びつく。全国紙朝刊の全面広告は定価では軽く1000万円を超す。その広告単価を維持するためにも部数を確保しなければならないから、「押し紙」のような慣行が生まれてきたのだ。

「新聞広告は効かない」という声を聞くようになって久しい。

ターゲットを絞り込みやすく、広告効果が計測可能なネットを使った広告やマーケティングが花盛りになり、大海に投網を打つような新聞広告を志向する会社が減っているのだ。

新聞社も企画広告など様々な工夫を凝らすが、広告を取るのに四苦八苦している新聞社も少なくない。

筆者が新聞記者になった1980年代後半は、増ページの連続だった。ページを増やすのは情報を伝えたいからではなく、広告スペースを確保するため。

第三種郵便の規定で広告は記事のページ数を超えることができなかったので、広告を増やすために記事ページを増やすという逆転現象が起きていた。増ページのために膨大な設備投資をして新鋭輪転機を導入した工場などをどんどん建てた。

確かに、今はデジタルの時代である。電子版が伸びている新聞社も存在する。だが、残念ながら、電子新聞は紙ほどもうからない。広告単価がまったく違うのだ。

海外の新聞社は2000年頃からネットに力を入れ、スクープ記事を紙の新聞よりネットに先に載せる「ネット・ファースト」なども15年以上前に踏み切っている。日本の新聞社でも「ネット・ファースト」を始めたところがあるが、ネットで先に見ることができるのなら、わざわざ紙を取らなくてよい、という話になってしまう。

紙の読者がネットだけに移れば、仮に購読料金は変らなくても、広告収入が減ってしまうことになるわけだ。

欧米では新聞社の経営は早々に行き詰まり、大手メディア企業の傘下に入ったり、海外の新聞社に売り飛ばされたところもある。このままでいくと、日本の新聞社も経営的に成り立たなくなるのは火をみるより明らかだ。

「紙」の死はジャーナリズムの死
当然、コスト削減に努めるという話になるわけだが、新聞社のコストの大半は人件費だ。記者の給料も筆者が新聞社にいた頃に比べるとだいぶ安くなったようだが、ネットメディアになれば、まだまだ賃金は下がっていくだろう。

フリーのジャーナリストに払われる月刊誌など伝統的な紙メディアの原稿料と比べると、電子メディアの原稿料は良くて半分。三分の一あるいは四分の一というのが相場だろうか。新聞記者の給与も往時の半分以下になるということが想像できるわけだ。

問題は、それで優秀なジャーナリストが育つかどうか。骨のあるジャーナリストは新聞社で育つか、出版社系の週刊誌や月刊誌で育った人がほとんどだ。

逆に言えば、ジャーナリズムの実践教育は新聞と週刊誌が担っていたのだが、新聞同様、週刊誌も凋落が著しい中で、ジャーナリスト志望の若手は生活に困窮し始めている。

そう、新聞が滅びると、真っ当なジャーナリズムも日本から姿を消してしまうかもしれないのだ。紙の新聞を読みましょう、と言うつもりはない。

だが、タダで情報を得るということは、事実上、タダ働きしている人がいるということだ。そんなビジネスモデルではジャーナリズムは維持できない。

誰が、どうやって日本のジャーナリズムを守るのか。そろそろ国民が真剣に考えるタイミングではないだろうか。

ゴーン前会長逮捕で注目、外国人トップ起用のわけ 経営のプロ、手っ取り早く?

毎日新聞1月18日の夕刊に磯山のコメントが盛り込まれた記事が掲載されました。ぜひ、毎日新聞のデジタル版等でもご覧ください。→https://mainichi.jp/

 日本企業はなぜ外国人経営者を求めるのか。会社法違反容疑などで逮捕、起訴された日産自動車カルロス・ゴーン前会長をはじめ、製薬最大手・武田薬品工業がクリストフ・ウェバー氏を招くなど、大手企業が海外からトップを迎える動きが続いている。その事情から見えるものは……。【宇田川恵】

 「部長クラスを登用する際、もし国籍を問わず選べば、日本人は一人も入らないっていう話を聞きましたよ。そのぐらい日本人は劣後していると。もしかしたら日本企業の中間管理職は、日本語と英語、中国語が話せる外国人で占められちゃうかもしれません」。苦笑ぎみにそう話すのは経済ジャーナリストの磯山友幸さんだ。

 家電や自動車など物づくりで世界を席巻してきた日本。いったい何が劣っているというのか。「今の日本の在り方では、マネジメント(経営)の専門家が育ってこないんですよ」

 欧米の国際的企業では、経営を専門に学んだ人が30代ぐらいで入社し、子会社の管理責任者を務めたり、その後に本社で部長に就いたりして、経営の腕を磨く。そんな人材が将来、トップとして経営のかじを握るのだ。実際、ゴーン前会長も30歳からさまざまな企業経営に携わってきた経営のプロといえる。

 一方、日本企業では通常、上司から引き立てられたりした人が平社員から順々に昇進し、部長や取締役となり、そのうちの誰かが社長になる。トップはその会社だけに通用する慣習や特定の分野に詳しく、根回しが上手でも、経営能力にたけているとは言えないケースが多いのだ。

 「日本の場合、会社が大きな変革をしようとしても、社内の下から上がってきた人では限界がある。欧米のように経営の専門家があちこちにいて、隣の会社から引っ張って来られるような環境にもない。ならば国際事情にも精通している経営のプロを海外から呼ぶのが手っ取り早い方法といえます」と磯山さんは語る。

 ゴーン前会長は日産の再建請負人として登場し、合理的な手法で「系列」などのしがらみをばっさり切り捨てた。日本人の手ではできなかった大量の社員のクビを一気に切るという大規模なリストラも断行、そのお陰で日産は息を吹き返した。一方、武田が国際市場での生き残りを懸けて招いたのがウェバー氏だ。社内には反対の声もすさまじかったというが、同氏は今月、アイルランドの製薬大手を約6兆円もの巨費で買収。その成否はあくまで今後にかかるが、生え抜きの日本人トップなら尻込みしたような大胆な取り組みを推し進めている。

 プロの経営者を外から連れて来る動きは今後いっそう高まる、と作家の江上剛さんは見ている。旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)出身で、企業事情に詳しい視点から、こう指摘する。「バブル崩壊以降、日本は『失われた何十年』などと言われてきたが、実際には低成長ながら安定した暮らしが維持できたんです。でも大企業を中心に、だんだんその状況に我慢ならなくなっている。米国のIT企業の勢いや中国の台頭で、このままでは沈んでしまうという危機感が強まっているからです。そのため多くの企業が『異質な人』たちを求めているのではないでしょうか」

 江上さんの言う異質な人は、武田のウェバー氏であり、ここ数年増えてきた「プロ経営者」と呼ばれる人たちだ。サントリーホールディングス新浪剛史氏や資生堂の魚谷雅彦氏などがその例といえる。もちろん全てが成功しているわけではないが、リスクを取ってでも成長をつかもうという機運が外国人トップ起用に表れているともいえる。

日本理解、成功に不可欠
 NHK連続テレビ小説まんぷく」が評判だが、そのモデルである日清食品の創業者でインスタントラーメンを生み出した安藤百福(ももふく)氏は魅力的な経営者だ。その生前を知る人に話を聞いたことがある。安藤氏は入社2〜3年の若い社員から年配の役員まで分け隔てなく自分の部屋に呼んで、興味ある話をじっくり聞いたそうだ。「百福さんというのは常に人様に喜んでもらおうという発想で真剣に物事を考えていた。怖い存在だったけど、社員はみんな大好きだった」と振り返っていたのを思い出す。

 合理的な思考と行動力で会社を動かすことは必要だ。それは決して否定できない。だが経営者はそれだけでいいのか。安藤氏に思いをはせると、どうしても気になる。

 パフォーマンス心理学の専門家で、経営トップのスピーチ指導なども行うハリウッド大学院大学教授、佐藤綾子さんに聞くと、経営者はその地の社会や文化を理解することが欠かせない、とする。欧米は個人主義、競争主義であるのに対し、日本は集団主義、協調主義が根付いている。「日産の業績が悪化した時のような『有事』のリーダーは決断力が必要で、ゴーン前会長はぴったりの人でした。でも業績が回復し、会社が落ち着いた後の『平時』のリーダーは、日本的に仲間をまとめたり、人を大切にしたりすることが必要です。ゴーン前会長は有事のリーダーとして優秀でも、平時のリーダーにはなれなかったということではないでしょうか」

 佐藤さんはさらに、主張を効果的に伝える条件として「論理」「信頼性」「感情」の三つが必要だとし、「欧米人は『論理』を優先しますが、日本人に対しては『感情』を大切にしなければいけません」とも語る。

 分かりやすい例は、日本マクドナルドホールディングスの社長、サラ・カサノバ氏の対応だ。2014年夏、中国の協力工場が期限切れの鶏肉を使用していた問題が発覚し、カサノバ氏は記者会見した。その話しぶりは整然として論理的で、「マクドナルドもだまされた」と訴えた。だが多くの日本人はこれに反発、業績は悪化した。その後しばらくして、再び記者会見したカサノバ氏は、以前の険しい対応から一転、深く頭を下げ謝意を示した。以降、全国の店を回って客と触れ合ったりもしている。「マクドナルドが回復したのは、カサノバ氏が『論理』以上に『感情』を大切にし、集団主義の日本社会に向けて『応援してください』というメッセージを伝えられたからだと思います」と佐藤さん。

 幅広い経済問題に詳しいジャーナリストの嶌信彦さんも、経営者は日本的なものを大切にしなければいけない、と強調する。ソニーで初めて外国人トップに就いたものの、「物づくりを軽視した」などと批判され業績も悪化し、評価が低いハワード・ストリンガー氏の例を挙げながらこう話す。「ストリンガー氏は日本にほとんど住まず、日本社会に定着したり、日本人のライフスタイルを理解したりしなかった。しかし大規模なリストラなど合理化だけは進め、業績など数字を重視しました。経営者がグローバルな視野を持って経営することは大切だが、その国の土壌への理解を併せ持たないと成功はしません」

能力、チェックする仕組みを
 日本企業が外国人トップを招く半面、日本人が国際的な大企業で経営を任されているという話は聞かない。このままでいいのだろうか。

 嶌さんは、経営の専門家を育てようという動きは見えつつある、とする。「大手商社などは30代ぐらいの社員を関連会社に送って役員のポストに就けたりして、経営全般を学ばせた後、また呼び戻したりしている。我々の時代は若いうちに子会社に異動させられると『飛ばされた』と落胆したものだが、今は必ずしもそうじゃない」

 前出の磯山さんは「大卒一括採用がなくなれば状況は変わる」と話す。企業は今、何のスキルも能力も持たない大卒者を、なんとなく良さそうだと判断して採用している。だが「欧米のグローバル企業のように、大学院で勉強したり、企業のインターンを経験したりして、特別な力を身につけた人を採用するようになれば、若者も自分でスキルを磨き、キャリアを作る努力をするはずです。もはや企業も、白地のキャンバスに何十年もかけて絵を描くみたいに人を育てる余裕はなくなってきている」。

 そもそも日本企業が外国人トップを迎える準備が本当にできているかには疑問の声もある。「連れてきたトップに能力がなければ1年でもクビにできたり、経営の成果をきちんとチェックできたりするガバナンス(企業統治)の仕組みが働かないといけない。『社長は全能』という日本企業に外国人トップを持って来れば、好き放題やる経営者が生まれて当然です」と磯山さん。

 さまざまな不備を見直さないといけない。

再び台頭する「日本異質論」

日本CFO協会が運営する「CFOフォーラム」というサイトに定期的に連載しています。コラム名は『コンパス』。1月18日にアップされた原稿です。オリジナルページもご覧ください。→http://forum.cfo.jp/?p=11148

 2018年の東京株式市場は⽇経平均株価が2万1477銭とかろうじて2万円台で⼤納会を終えた。もっとも、2018年の初値だった2万3,073円73銭を下回ったので、4本足のチャートで言えば2018年は「陰線」だった。年末終値が前の年を下回ったのは2011年以来7年ぶりである。

 安倍晋三内閣が進めてきたアベノミクスなどの効果もあり、株価は上昇傾向を続けてきたが、ここへきて、いよいよ息切れとなった。

 年末の大幅な下落はニューヨーク・ダウの大幅安が引き金で、原因としては米国政治の混乱や米景気の減速懸念などが語られていた。だが、日本の株価が「陰線」になった最大の理由は、海外投資家が日本株を「見限った」ことにある。JPX(日本取引所グループ)が発表する投資部門別売買動向によると、2018年は「海外投資家」が5兆円以上も売り越した。もちろんアベノミクスが始まった2013年以降では最大である。

 2018年は「日本売り」につながる出来事が資本市場周辺で相次いだ。中でも世界の投資家を驚かせたのが11月末のカルロス・ゴーン日産自動車会長(当時)の逮捕だ。検察からのリークで報道される「会社私物化」の話は、庶民感情を逆なでするには十分だったが、現職の経営者の身柄を拘束するに足る法律違反が存在するのか。日本を知る外国人投資家の多くはゴーン会長逮捕に「魔女狩り」を感じたようだ。

 ゴーン会長が日産で「天皇」として振る舞い好き放題を働いた点には、誰もが批判的だ。だが、そんな好き放題を許したのは、日産自動車のガバナンス体制が緩かったからで、日本の会社制度の「緩さ」が原因だったのではないか。欧米の貪欲な経営者は放っておけば同じようなことをする。だからこそ契約で明確にし、ガバナンスをきかせた監視体制を取る。それを疎かにした日本の制度の「穴」をゴーン会長に突かれたのだろう、というわけだ。

 それをいきなり逮捕して、しかも再逮捕を繰り返して自由を束縛し続ける。まさに中世のような司法制度が生きていると海外投資家は思ったようだ。日本の上場企業の取締役を引き受けるのは大きなリスクだ、という声がグローバル企業の経営者の間から上がっている。やはり日本は「異質な国だ」という認識が一気に広がってしまったという。

 裁判所が勾留期限の延長を不許可とすると、東京地検特捜部は慌てて「特別背任」で再逮捕した。特別背任で有罪にするにはゴーン会長が会社に損失を与えることを意図していたとの立件が必要で、ハードルはかなり高い。仮に有罪にできないようなことがあれば、特捜部のメンツが丸つぶれになるどころの話ではなく、日本企業が世界の経営者からソッポを向かれることになりかねない。

 そもそもゴーン会長を逮捕した最初の容疑が「有価証券虚偽記載罪」だったことにも日本の事情に詳しい海外投資家は目を丸くした。何せ、あの東芝が前代未聞の巨額の粉飾決算にもかかわらず、誰ひとり経営者が逮捕されなかった罪状だったからだ。

 もう1つ、ほぼ同時に表面化したスキャンダルは、世界の投資家を呆れさせた。JPXの清田瞭CEO(最高経営責任者)が、自らが開設責任者である東京証券取引所に上場するETF(上場投資信託)に1億5,000万円も投資していたことが明るみに出たのだ。JPXは内規違反だとして清田氏の報酬を3カ月30%減額する処分を行った。取引所のトップは株式売買などを行わないのが当然で、トップとしての資質が問われる事態だったが、「身内に甘い」処分でお茶を濁した。

 結局、日本の会社制度や取引所のルールは、日本人の権力者に都合の良いように運用されているのではないか。そんな疑念が強まる事例が相次いだわけだ。

 この光景はいつか来た道ではないか。2000年前後に会計不正が吹き荒れた際、日本の会計基準は「世界標準とは違うものだ」という注意書きが英文決算書に付けられたことがある。その当時、吹き荒れた日本異質論を彷彿とさせる。その後、日本が世界の信用を取り付けるためにどれだけ多くの制度改正やルールの国際化を余儀なくされたか。

 いとも簡単に信用を失うことはできる。だが、その信用を取り戻そうと思えば、長年の努力が不可欠になる。第2次以降の安倍晋三内閣は、社外取締役の導入やスチュワードシップ・コードなどの導入といったコーポレートガバナンスの強化に取り組んできた。そうした努力を無に帰すことになればどうなるか。海外投資家の売り越しはそう簡単に収まりそうにない。