安倍晋三内閣は6月14日、経済政策の3本目の矢である成長戦略、『日本再興戦略』を閣議決定した。大胆な金融緩和、機動的な財政出動に次ぐアベノミクスの柱で、どこまで踏み込んだ内容が盛り込まれるかが注目されていた。
農業や医療、雇用制度など、いわゆる"大玉"の規制改革については十分に踏み込むことができず、市場関係者などからは「期待外れ」という声も上がる。一方で、安倍首相が秋に向けて「成長戦略シーズン2」を始めると宣言したことから、今後、"大玉"に踏み込んだ改革が行われるのではないか、という新たな期待も生まれている。
「霞が関の勝ち」は決まっていた
成長戦略をまとめたのは産業競争力会議。全閣僚からなる政府の「日本再生本部」の下に置かれた会議だ。安倍首相が議長、議長代理に麻生太郎副総理兼財務相、副議長に甘利明経済再生担当相と菅義偉官房長官、茂木敏充経産相が就き、議員には二人の大臣のほか、民間人十人が就いた。総勢十七人で民間十人、国会議員七人という布陣(議員名簿参照)だが、テーマに応じて担当の大臣が出席したため、毎回大人数が参加する大会議となった。
官僚OBに言わせれば、この段階で「霞が関の勝ち」は決まっていた。人数が多ければ実質的な議論はできず、参加者が個々別々に「意見表明」して時間切れとなる。役人から「的確な御意見をありがとうございました。後は事務局でまとめます」と言われておしまい、というわけだ。
実際、今回の産業競争力会議もこのワナにはまった観が強い。民間人議員のひとりが言う。
「ひとり5分の発言で終わりになり、議論らしい議論にならなかった。もう少し少人数で討議できるような会議にしなければ機能するはずはない」
残念ながら、それぞれが意見を表明する「儀式」のようになり、ほとんど議論になっていないことは議事録を読めば一目瞭然だ。
それでも民間人十人がまとまれば、多数で議論の方向性を決めることが可能だった。小泉純一郎首相当時、構造改革の司令塔として機能した「経済財政諮問会議」はメンバーが首相を除いて10人。うち国会議員が5人で、民間人が4人と日銀総裁だった。4人の民間人議員は連携して「民間議員ペーパー」を作成、これに官房長官や首相が賛同することで、改革策が決まっていった。いわゆる「骨太の方針」である。
ところが、今回の産業競争力会議は民間人が10人と多いうえ、横の連携はほとんどなかった。リエゾンと呼ばれるそれぞれのメンバーの専属スタッフ同士が議論のたたき台を作ったが、金融機関のように大勢の政策スタッフを抱える会社のトップと、製造業のように政策に知見を持った社員がほとんどいない会社で大きな力量の差が出た。力量とは中味の良し悪しではなく、自らの主張を押し通すための理論建てや根回し、官僚との連携のことだ。
「成長戦略の一丁目一番地」さえも霞が関ペース
民間議員の選び方も霞が関からみれば"秀逸"だった。坂根正弘・コマツ会長(現相談役)は経団連の副会長だし、長谷川閑史・武田薬品工業社長は経済同友会の代表幹事、佐藤康博みずほフィナンシャルグループ社長は全国銀行協会の副会長である。
いくら個人としては改革派だったとしても、後ろに背負っている大組織の利害を超越することはできない。改革派である三木谷浩史楽天会長兼社長にしても、経団連を脱退して自ら新経済連盟を設立、代表理事となっており、もともと旧来の財界とは対立関係にある。民間人議員10人が一致団結して改革を迫ることなどあり得ない人選だったのだ。
彼らが一致する点があるとすればTPP(環太平洋経済連携協定)の推進と、農業の産業化だった。ここには10人の間に異論がないとみられていた。実際、1月に産業競争力会議が始まって早々、TPPへの交渉参加を求める意見が相次いだ。2月に安倍首相がTPP交渉への参加を表明すると、会議の席で安倍首相に感謝の言葉を述べる民間議員もいた。
安倍首相が「成長戦略の一丁目一番地」と言った規制改革についても、布陣からみて霞が関ペースと言えた。稲田朋美・規制改革担当相は右翼的な言動で知られる弁護士だが、これまで規制改革にはほとんど関与してこなかった。「規制改革会議」の議長は岡素之・住友商事元会長。民主党政権下で行政刷新会議の議員を務めてきた人物で、安倍内閣でもそのまま横滑りした。
大臣や規制改革会議議長の人選を見る限り、安倍首相自身が、規制改革を強力に進める布陣を敷いたわけではなかったのである。岡氏は産業競争力会議の議員にも名を連ねたが、これは産業競争力会議と規制改革会議が車の両輪になって規制に斬り込むという位置づけだった。だが、狙い通りに機能したとは言えない。
産業競争力会議の民間議員で構造改革を主導したのは竹中平蔵・慶應義塾大学教授だった。もっとも、会議の議長代理を務める麻生太郎副総理は竹中氏の起用に最後まで反対だったという。甘利氏や茂木氏らも竹中氏の改革路線には難色を示していた。もともと自民党内には今でも小泉・竹中改革に対するアレルギーが根強く残っているのだ
次いで改革姿勢を鮮明にしていたのが三木谷氏。医薬品のネット販売の解禁を強硬に主張していた。成長戦略にも「一般用医薬品については、インターネット販売を認めることとする。その際、消費者の安全性を確保しつつ、適切なルールの下で行うこととする」と盛り込まれた。
今年1月、最高裁がネット販売を規制した厚生労働省の省令を無効とする判決を下しており、解禁は既定路線だったが、「劇薬指定品目」など一部に例外を認めることに三木谷氏は最後まで強硬に抵抗した。もっとも、三木谷氏が社長の楽天が4割を出資するケンコーコムが医薬品通販サイトを運営しており、「我田引水の主張だ」という声が民間議員の間からも出ていた。
ローソン社長の新浪剛史氏も産業競争力会議では改革を主導した。特に社外の独立取締役を最低でも1人義務付けるべきだとするコーポレート・ガバナンスの強化を強く主張。この点は竹中氏と主張が一致していた。もっとも、経団連は組織を挙げて法律での義務付けには反対しており、成長戦略でも曖昧な表現にとどまった。
アベノミクス成長戦略"期待外れ度"ランキング
民間議員の多くは改革に前向きな発言をしていたが、具体的な政策になると反対論が噴出した。自らが所属する企業や業界の利害がからむと、結局は既得権を守る傾向が強かったと言える。
民間議員の改革姿勢を評価するのはなかなか難しいが、1つの尺度として、各議員が所属する会社の株価の動きをみてみよう。民間議員10人のうち所属する会社が上場企業なのは7人。安倍内閣の発足時から年初来高値まで上昇した分の何割をその後の下落で失ったかを調べたのが、下の表である。アベノミクス成長戦略への「期待」と「失望」がそれぞれのメンバーの会社にどう表れたかで、"期待外れ度"を測ってしまおうという試みだ。
アベノミクスによる円安の効果が大きいとみられるトヨタ自動車を例に説明しよう。トヨタの株価は安倍内閣が発足した昨年12月26日の始値では3,825円だったが、5月の高値では6,760円を付けた。77%の上昇である。それがその後の下落で成長戦略を閣議決定した6月14日終値では5,590円まで下落した。上昇分の39.9%を失った計算になる。これを「期待外れ度」とした。
強引にも見えるほど改革を迫った三木谷氏の楽天は2倍近くに上昇した後も、22%しか下落していない。新浪氏のローソンも辛うじてトヨタよりも下落度が小さかった。ところが、他の会社は軒並み「期待外れ度」が大きい。規制改革会議議長を務めた岡氏が社長・会長だった住友商事は上昇分の83%を失った。これに経団連副会長を務める坂根氏が社長・会長だったコマツ、経済同友会代表幹事の長谷川氏が社長の武田薬品工業が続いた。
もちろん、民間議員の改革姿勢だけでそれぞれの株価が反応したわけではない。だが、産業競争力会議の議員にこの表を見せたところ、「これは面白い。不思議なことに、期待を裏切られた順番に並んでいる」との評価だった。産業競争力会議に出ていたメンバーは自社の株価に関心を持ってみていたのは明らかだ。
安倍首相は、産業競争力会議を「改革実行の司令塔」として存続させる方針だという。メンバーもそのままで続けるのか、法的な位置づけをどうするのかなどは決まっていない。だが、現状の会議をそのままの形で続けても改革が進まないのは明らかだ。産業競争力会議を機能させるためにはいくつかのポイントがありそうだ。
まずは、議員の数を議論ができる人数に絞り込むこと。そして、組織の利害を離れて改革に取り組む覚悟のある人だけにすることだ。また、会議の答申を実効性のあるものにするためには、会議の権限など法的な位置づけを明確にすることも重要だ。加えて、司令塔の司令官である政治家の覚悟だろう。安倍首相が改革路線を進む腹をくくること、そして反対を押し切っても実行できる信念を持った政治家を担当大臣に据えることだろう。
6月14日の日経平均終値は1万2,686円。2005年9月11日に小泉首相が郵政選挙で大勝する直前9月9日の終値1万2,692円に並んだ。そこから小泉改革を好感した株価上昇が始まり、第1次安倍内閣の改造前である2007年7月に1万8,295円の戻り高値を付けた。果たして安倍首相は、市場が評価するようなリーダーシップを示すことができるのか。産業競争力会議の今後の「建て付け」が将来を決することになりそうだ。