「社外取締役」元官僚や教授は過渡

ファクタ4月号(3月20日発売)に掲載された定期コラムです。編集部のご厚意で以下に再掲させていただきます。→http://facta.co.jp/article/201504023.html


上場企業の「あるべき姿」を示した「コーポレートガバナンス・コード」が完成した。金融庁東京証券取引所が共同で事務局を務めていた有識者会議(座長、池尾和人・慶応大教授)が3月5日に原案を公表したもので、今後、東京証券取引所の上場規則などに反映されていくことになる。

昨年完成した「スチュワードシップ・コード」では、企業を株主としてチェックする立場にある生命保険会社や銀行といった機関投資家の「あるべき姿」が示された。今回のガバナンス・コードの完成で、車の両輪がそろったことになる。これで、日本企業の経営のあり方は徐々に変わっていくのは間違いなさそうだ。

報告書が冒頭で強調しているのは、今回のコードは「成長戦略の一環として策定され」たものだという点。「目的」としてこう書かれている。

「会社におけるリスクの回避・抑制や不祥事の防止といった側面を過度に強調するのではなく、むしろ健全な企業家精神の発揮を促し、会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を図ることに主眼を置いている」

つまり、企業を縛るブレーキではなく、安心してアクセルを踏むための安全装置だと言っているのだ。ガバナンスが機能していないと、経営の意思決定が合理的かどうか疑わしくなり、リスクを取らない経営に堕してしまう。ガバナンスを強化することで、経営陣をそうした制約から解き放つのだとしている。

極端な言い方をすれば、これまで多くの日本企業の経営は、社長や会長、創業者といった権力者に、「白紙委任」して全権を委ねる仕組みだった。

取締役会は経営方針を真剣に議論する場ではなく、社長の方針を追認する場。それだけに他の取締役はその場の「空気を読む」ことが求められた。だからこそ、取締役会に「よそ者」が入ってくるのを極端に嫌ったわけだ。

¥¥¥

今回のコードには、独立社外取締役について、「少なくとも2名以上選任すべきである」と明記された。経済団体などは数値基準を入れることに強く抵抗したが、最終的に盛り込まれた。

さらに、会社の自主的な判断で、少なくとも3分の1以上の独立社外取締役を選任することが必要と考えた場合、「そのための取組み方針を開示すべき」だとも書かれている。つまり、間接的表現ながら、3分の1以上を促しているようにも読めるのである。

会社法では社外取締役の設置は義務付けられていない。ただし、置かない場合にはそれが「相当な理由」を開示するよう求められたため、多くの上場企業が設置に動いた。東証の昨年7月時点の集計によると、東証1部上場企業の61.4%がすでに独立社外取締役を置いている。1年前は46.9%だったから、急速に増えたのだ。

ただ、2人以上となると、まだ21.5%の会社しか置いておらず、今後、独立社外取締役の選任ラッシュが起きることになるだろう。

「人材がいない」というのが、経済界などが、社外取締役の制度導入に反対する一つの大きな理由になっていた。また、社外取締役を置いたからといって経営が良くなる保証はない、という批判もあった。

確かに今後、東証1部だけでも2千人以上の人材が必要になるわけで、人探しは容易ではない。間違いなく、会計士、弁護士、大学教授、官僚OBなどが引っ張りだこになるだろう。メディアの中には「官僚の新たな再就職先」として、否定的にとらえる向きもある。

社外取締役を巡る長年の「人数」問題が決着したことで、今後は本格的に「質」や具体的な「役割」を問う時代に入る。コードには、「会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上に寄与するように役割・責務を果たすべき」とあり、上場会社は「そのような資質を十分に備えた」人を選ぶべきだとしている。

では、どんな人物が相応しいのか。それは会社自身が考えることだ。

今回のコードの特徴は、法律と違って「義務」として課される線を示したものではない。コードに従うか、従えない場合にはその理由を開示する「コンプライ・オア・エクスプレイン」という仕組みが導入されている。つまり、社外取締役を置かない理由をきちんと説明できれば、ルール違反ではないのだ。あとは株主がどう考えるかである。

人選に当たっては当然、持続的な成長と企業価値の向上に「寄与する人物かどうか」が問われることになる。ただ、形式上、独立していればよい、という問題ではないのだ。単なる「お目付け役」では務まらないのだ。

おそらく、初めは官僚OBは引く手あまたに違いない。独立・公正に疑問を挟まれることは少ないからだ。だが、独立社外取締役が定着してくると、企業経営者は「この人物は本当に企業価値の向上に貢献しているのか」と考え始める。当然、株主もそれを問う。つまり、官僚経験者としての専門性や知見が問われることになるのだ。

天下りが批判されるのは、官僚の規制権限を背景に、業界団体や関連企業に再就職するからだ。退官後、本当に企業経営に役立つ社外取締役になろうと考えれば、それにふさわしい専門能力を現役時代に培っておかなければならない。役人として権限をふるっているだけでは、退職後、まったく役に立たない。企業側も大物官僚だったから、というネームバリューで取締役候補者にすることは、早晩なくなるに違いない。

大学教授も、企業の利益に結び付かない「ご高説」ばかり垂れていたら、お声がかからなくなる。合格者を絞り込んでいる弁護士や会計士は、もはや社外取締役の供給源になりえない。

つまり、官僚OBや学者を大挙して選任するのは、過渡期の現象とみていい。天下りと目くじらを立てる必要はない。むしろ、取締役会で通用する人材を、霞が関や大学が供給するためには、彼ら自身の仕事の仕方や専門能力の育成方法を考えなおさなければならなくなる。

¥¥¥

欧米企業の社外取締役を見ていると、多くは他の企業の経営者である。経営のプロを外部から呼んで意見を聞いているわけだ。時間はかかるだろうが、日本企業の社外取締役もそうなっていくに違いない。それと同時に、プロ経営者層が育ってくることになるだろう。

経営力が改善されれば、まだまだ日本企業は成長する余地があるようにみえる。ガバナンス・コードの適用は、地味ではあるが、実は日本企業に大きなインパクトを与える大変化である。