現代ビジネスに9月12日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→
https://gendai.media/articles/-/99686
物価上昇率3%超えは時間の問題
日本にも世界的なインフレの波が押し寄せてきた。
国内物価の上昇が止まらず、7月の消費者物価指数(生鮮食品を除く)は前年同月を2.4%上回った。11カ月連続での上昇で、2%を超えるのは4カ月連続。しかも上昇が止まる気配はない。10月には様々な消費財の値上げが予定されていることから、消費者物価指数の上昇率が3%を超えてくるのは時間の問題と見られる。
実際、企業間取引の物の価格である「企業物価指数」は前年同月比8.6%も上昇している。原油や小麦などの海外市況商品の高値が続いているのに加えて急速な円安で企業が輸入する際の価格が大幅に上昇していることが大きい。
7月の「輸入物価指数」は前年同月に比べて48%も上昇している。企業物価の上昇ほど消費者物価が上がっていないのは、企業努力で吸収するなど小売り価格に転嫁されていないためだ。今後、価格転嫁が本格化する見通しで、消費者物価の上昇率が大きくなると見られる。
消費者物価の大幅な上昇は、消費者の生活を直撃することになる。問題は物価の上昇を吸収できるくらい賃金が上がるかどうかだ。岸田文雄首相は就任以来、「新しい資本主義」を掲げ、賃金の引き上げが重要だと述べ続けている。果たして企業は、こうした政府の要請に応じる形で、物価上昇に見合った賃上げを実施するのだろうか。
残念ながら、企業の多くは従業員の「生活防衛」よりも、自身の「企業防衛」を優先しそうな気配だ。企業物価の上昇を最終価格に十分に転嫁できない場合、そこコスト増を吸収するために一段の合理化を進めることになるが、そのしわ寄せが従業員や下請けに回りそうなのだ。賃上げどころか、賃金据え置きすら怪しくなってくる。仮に賃上げが行われたとしても物価上昇率には到底及ばず、いわゆる「実質」賃金は低下してしまう。
これは政府が「過去最大の引き上げ」と胸を張る「最低賃金」にも現れた。10月から適用される全国の最低賃金が出そろったが、その加重平均は961円と前年比31円の引き上げだった。率にして3.3%だ。確かに前年の3.1%増を見た目では上回っている。
だが、今年7月の消費者物価の上昇率は2.4%、昨年7月は0.2%のマイナスだった。単純にこの物価を加味すれば、昨年の最低賃金は3.3%の上昇、今年は0.9%の上昇ということになる。「実質」で見れば昨年を大きく下回る引き上げしかできていない。これと同じことが今後、企業の賃金でも起きそうなのだ。
人件費増を食い潰す輸入原材料高騰
9月1日に財務省が発表した「法人企業統計」にその“予兆”が表れている。四半期ベースのデータで2022年4-6月期は売上高が前年同期比7.2%増加し、経常利益は17.6%増と大幅な増加を示した。2022年1-3月期の増益率13.7%をさらに上回り、新型コロナウイルス蔓延の影響から企業収益が立ち直りつつあることを示した。
ところが、である。4-6月期の「人件費」の増加率は2.2%増と、1-3月期の5.2%増から大幅に鈍化している。売上原価は7.7%増えているので、原材料費などの増加が人件費よりもかなり大きかったことを示している。つまり、輸入原材料などの価格高騰によって、人件費増の足を引っ張られた可能性があるのだ。
この人件費2.2%増には賞与なども含まれており、従業員給与だけに限ると1.9%の増加だ。4月から6月まで消費者物価は2%を超える上昇になっており、つまり「実質」的な賃金はまったく増えていないことになるわけだ。
総務省の家計調査でも勤労者世帯の実収入(実質)は4月3.5%減、5月2.7%減、6月1.4%減といずれもマイナスだった。岸田内閣の期待と逆に、企業の賃上げは不十分で、インフレに追いついていないのである。
従業員の生活防衛は二の次
大手の自動車メーカーなどは下請け企業からの購買費を引き上げていると胸を張る。これまで価格引き下げ一辺倒だったことからすると画期的ではあるが、これもほとんど下請け企業が負担する原材料費の価格上昇分を補うのが精一杯で、下請け企業の人件費を引き上げるところまではいっていないケースが大半だとみられる。
「賃上げしなければとは思うのですが、輸入部材の価格上昇が激しく、その余裕はありません」と中部地域の中小企業経営者は言う。従業員の人件費増加を抑えることで販売価格を引き下げてきたデフレ下の日本企業の経営スタイルからまだまだ脱却できていないのだ。インフレ下で賃上げが後回しになれば、生活者の困窮は一気に進むことになりかねない。
では、企業の懐事情がそこまで大変かというと、統計数字を見る上では、そうは見えない。企業の内部留保(利益剰余金)が増え続けているのだ。前出の法人企業統計では、2021年度の内部留保(金融・保険を除く全業種)は516兆4750億円と初めて500兆円を突破した。内部留保が増加するのは10年連続で、10年前の1.8倍になった。資本金1000万円以下の企業は減少している一方で、大企業は大きく増えた。
全体では1年前に比べて6.6%の増加で、年度の人件費の伸び(5.7%増)よりも大きくなった。企業は景気変動などのリスクに備えて内部留保を厚くすると説明されているが、実際は新型コロナウイルスの蔓延による経済的な危機に際しても、年度ベースでは内部留保が取り崩されることはなかった。
従業員の給与を物価上昇以上に引き上げて「生活防衛」に資するという考えよりも、一段と不透明感を増す今後の経済情勢に備えて内部留保を積み増すという「企業防衛」が優先されている、ということなのだろう。