JICで露呈した「官民ファンド」の限界 役所の「ポケット」なら、もういらない

月刊エルネオス1月号(1月1日発売)に掲載された原稿です。

http://www.elneos.co.jp/

発足間もなかった官民ファンドの「産業革新投資機構(JIC)」と、経済産業省など政府の対立が表面化し、十二月十日にJICの民間役員が総退陣する異常事態に陥った。十一人の取締役のうち、残るのは経産省財務省の出身者二人だけとなり、JICは事実上、身動きが取れなくなった。
 対立が表面化したのは、十一月末。JICの取締役らに支払う報酬が高額であることが原因だと報じられた。年額の固定給は社長が一千五百五十万円、副社長が一千五百二十五万円、専務が一千五百万円。これに短期業績連動報酬として、年額四千万円を上限に四半期ごとの業績に応じて支払うというもの。また、長期業績連動報酬として、最大七千万円を支払うとされた。成功報酬である長期業績連動報酬と合わせると一億二千万円超ということになるが、この金額自体はファンド運用など金融業界の相場からすればかなり低い。
 この報酬体系は経産省との事前のやり取りで決まっていたものだが、それを経産省側が白紙撤回したのだという。国民の資産を運用する国のファンドでの高額報酬には国民の理解が得られないというのが反故にした経産省側の主張だ。
 これに民間の取締役が反発。辞表を叩きつけた、というわけだ。辞意表明に当たって民間人取締役は全員がその理由を書いた文書を公表。怒りをぶちまけた。
 経産省がことさら報酬を前面に出し、「国民の理解が得られない」と声高に叫んだことで、民間人取締役たちに非があるような論調が多い。確かに、国民の税金でつくったファンドで、儲かったから高い報酬を払うというのは、庶民感情からは許せないように思える。

日本にイノベーションを起こすベンチャー投資を行うはずが……

 そもそも、官民ファンドとは何なのだろう。特定の分野の成長を促すために、「官」が資金を出して設立し、民間の投資資金を呼び込むというのが建前だ。なかなか高いリスクを取るような資金、いわゆる「リスクマネー」が出てこない日本社会で、その音頭を「官」が取ろうというわけだ。
 二〇〇九年にできた産業革新機構などがはしりだが、第二次安倍晋三内閣が発足した二〇一二年末以降に各省庁が設立に動いた。今では十以上の機関が乱立し、総額四兆円以上を運用している。
 だが実態は、当初の理念とは裏腹に、各省庁の第二の「ポケット」となっている。民間の出資も集まっていないのが実情だ。産業革新機構も当初は成長が見込まれるベンチャー企業などに投資をするという建前だったが、実際にはジャパンディスプレイルネサスエレクトロニクスなど経営危機に直面した企業の支援に巨額の資金が投じられた。
 JICはその産業革新機構を改組して生まれた組織で、設立の理念は、日本にイノベーションを起こすためのベンチャー投資などを行う政府系リスクキャピタル投資機関をつくるというものだった。二〇一七年に経産省が設けた「第四次産業革命に向けたリスクマネー供給に関する研究会」の報告を受けて、世界水準の組織にする、としたのだ。
 そうした理念に共鳴したのが、辞表を叩きつける結果になった民間人取締役九人。田中正明社長は三菱UFJフィナンシャルグループの副社長を務めた人物で、副社長には米国西海岸でバイオベンチャーで成功を収めた金子恭規氏が就いた。社外取締役には坂根正弘コマツ相談役や、冨山和彦・経営共創基盤CEOら「改革派」経営者や、米国の大学で活躍する学者、弁護士らが就いた。

世界水準のファンドになればコントロールが利かなくなる

 社外取締役の一人だった米国スタンフォード大学教授の星岳雄氏は、もともと日本の官民ファンドには否定的で、辞任に当たっての文書でも「成功するはずのない政策の一つが官民ファンド」だと切り捨てている。にもかかわらず彼らが取締役を引き受けたのは、「今度こそ経産省が本気になって日本が変わるきっかけをつくると考えたからだ」と社外取締役の一人は言う。
 金子氏の豊富な人脈もあって、世界のトップクラスの優秀な人材が、JICが設立する予定だった「子ファンド」に集まり始めていた。世界水準の運用力を持ったファンドができると思われた段階で、経産省が「白紙撤回」したというのだ。報酬体系だけでなく、子ファンドの組成など、JICのあり方自体に異を唱え始めたという。
 おそらく、JICが本当に「世界水準」の投資ファンドになり、官僚機構のコントロールが利かなくなることに危機感を覚えたのだろう。本気でリターンを追求するファンドになれば、政治家や役人の胸先三寸で投資先を決めることなどできなくなる。つまり、経産省の「第二のポケット」としてJICを使うことができなくなってしまうわけだ。
 星教授は退任表明の文書で、JICが「ゾンビの救済機関になろうとしている時に、私が社外取締役に留まる理由はありません」とキッパリと語っている。
 つまり、「今度こそは」と期待した民間人取締役たちを、霞が関は見事に裏切ったわけだ。
 やはり、「官民ファンド」に期待したのが間違いだった、ということだろう。「民間が出さないリスクマネーを誰が出せばいいんだ」と社外取締役の一人は言う。
 だが、発展途上国と違い、日本の「民」には膨大なおカネが滞留している。財務省の法人企業統計では、二〇一七年度の企業の内部留保は四百四十六兆円。一年で四十兆円も増えた。しかも「現金・預金」として保有されているものが二百二十二兆円に達するのだ。
 それでもリスクを取って日本にイノベーションを起こすような投資をしようと思わない日本の経営者に問題があるのは間違いない。リスクはとらず、相対的に高給を食んでいる経営者はいくらでもいる。「官」がカネを出すよりも、「民」にカネを出させるための仕組み、政策を早急に考えるべきだろう。

人間はおカネのために働くのか 選択できることこそ重要

日経ビジネスオンラインで12月28日にアップされた拙稿です。オリジナルページ→https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/122700083/?P=1


日本の報酬体系はグローバル水準から逸脱
 人は何のために働くのだろうか。生きていくためにはおカネが必要なので、「労働の対価」としてそれを受け取る。だからと言って、人は「おカネのため」だけに働くものなのだろうか。

 2018年は「報酬」を巡る話題が花盛りの年だった。11月に突然逮捕された日産自動車会長(当時)のカルロス・ゴーン容疑者による特別背任事件は、報酬の過少記載が突破口だった。政府の資金を運用する官民ファンド、産業革新投資機構(JIC)を舞台にした経済産業省と経営陣の衝突も、報酬が高すぎるという首相官邸の横やりで経産省が態度を一変させたことが民間人取締役を激怒させ、9人がそろって辞表を叩きつける事態に発展した。

 AI(人工知能)やバイオテクノロジーなど先進分野で、一級の学者が日本の大学にやって来ないのは、報酬水準が低すぎるからだとの声も上がった。もはや日本の管理職の報酬は、中国企業の管理職よりも安いといった報道もあった。

 要は、日本の報酬体系がグローバルな仕組みから大きく劣後していることが様々な問題を引き起こしたわけだ。このままでは、優秀な人材はみな海外に逃げてしまう。日本は沈没してしまう、という識者の危機感は十分に理解できる。

 だが、おカネを出しさえすれば優秀な人材が集まるのか、高い報酬さえ保証すれば、人は全力で働くのかと、ふと考えてしまう。逆に言えば、安月給にもかかわらず、全力で働く人は否定されるのか。

 報酬はその人の評価のひとつのモノサシであることは間違いない。日産自動車を破綻の危機から救ったゴーン容疑者は、10億円を超す年間報酬をもらっても飽き足らなかった。自分の働きには、もっと価値があると信じていたに違いない。

 かつてゴーン氏が絶頂の頃、会社を立て直した大手製造業の経営者に「いったい〇〇さんは会社の株価を何倍にしたのか」と聞いたと言う。これに日本人社長が「X倍だね」と答えると、ゴーン氏はこう言い放ったそうだ。「それなら報酬を今の10倍もらうべきだ」。

 日本人社長は苦笑交じりに「あんたのような顔をしていたら、もらえるんだが」と答えたそうだ。つまり、外国人だったら高い報酬を得られても、日本人経営者はそこまで貪欲になることは許されないというわけだ。

 何事にも中庸を求める日本人は、巨額の報酬をもらって当然だとはなかなか言えない。自分だけ多額の報酬を得れば、世間の目が許さない。そんな意識が日本の経営者には根付いている。

 それでもここ10年で、日本の経営者の報酬は大幅に上昇した。1億円以上の報酬開示が始まった2010年に、1億円以上の報酬を得る役員がいた会社は166社で、289人だった。それが、2018年には240社538人へと大きく増えた。かつては1億円以上もらうのは創業社長と相場が決まっていたが、最近では総合商社や大手電機メーカー、金融機関まで幅広い業種で1億円プレーヤーが誕生している。

おカネよりも社会貢献が重要だという風潮も
 では、こうした経営者のキャリアパスや働き方も欧米型に変わったのか、というとそうではない。欧米のCEOは業績が悪ければすぐにクビになる。取締役も成果を上げられなければ席はなくなる。高い報酬はそうしたリスクへの対価とみることもできる。

 ところが、日本の経営者は報酬が低い代わり、よほどのことがない限り、途中でクビになることはない。終身雇用が前提のサラリーマンとして会社に入り、役員となることで定年後も会社に残ることができた人がほとんどだ。身分保障があって突然失業するリスクがないのだから、報酬が低くても仕方がないとも言える。

 そういう意味では、最近のサラリーマン社長が数億円の年俸を得るようになったのは「いいとこ取り」とも言える。しかも、デフレに苦しんだ日本企業を立て直して、高額報酬をもらっている経営者たちの多くは、リストラによって人員削減をした結果、業績を回復させた。高額報酬を得る代償に、多くの人たちの涙があったとみることもできる。それでも業績を回復させたのだから、高額報酬を得るのは当然だと言い切れるのかどうか。

 もちろん、高い報酬をもらわずに働くのが日本人の美徳だなどと情緒的なことを言うつもりはない。今後、日本企業の報酬体系や雇用の仕組みは、どんどん欧米型になっていくだろう。国境を越えて人が動き回り、企業も世界中から優秀な人材を集めるようになると、人事制度や報酬がグローバル水準にサヤ寄せされていくのは当然のことだ。とくにグローバルな競争にさらされる分野の企業や組織では、グローバル水準の報酬を支払うのが当然になるだろう。

 それに伴って終身雇用や年功序列賃金という「日本型」と言われてきた仕組みは大きく崩れていくに違いない。実際、今年の国会で成立した「働き方改革関連法」では、時間によらない報酬体系を認める「高度プロフェッショナル制度」が導入された。これは日本型雇用制度に風穴を開けることになるに違いない。

 日本型の雇用制度は、悪いところばかりではなかった。だが、経済成長が止まり、デフレが企業を襲った中で、年功序列の人事制度が、企業の成長を阻害する要素になってしまった。日本企業が成長の壁にぶつかり、それを突き破るにはグローバル水準の仕組みに変わらざるを得なくなった、ということだろう。

 それでも、日本の会社や組織のすべてがグローバルな仕組みに変わる必要があるのかといえば、そうではないのではないだろうか。企業によっては終身雇用を続け、定年もなく、生涯働ける仕組みを取り続けてもよいのではないか。世界をみても欧州では生涯1つの会社で働くという人たちもたくさんいる。

 多額の報酬を払わなければ優秀な人材が来ない、というのは、グローバルに競争する企業や組織には当てはまるが、そうした日々競争を求められる働き方は嫌だ、という人たちもいる。安月給でも自分のやりたいことをしたいという人はいるのだ。

 学生や社会に出たての若者と話していると、最近は「やりがい」や「社会のため」に働きたいという声を多く聞く。おカネよりも社会貢献が重要だと言うのは最近の風潮で、世の中全体が「食うに困る」ことがなくなったことが要因のひとつのように思う。まさに、衣食足りて礼節を知る、ということだろう。

 雇用制度や報酬体系がひとつである必要はない。労働基準法という単独の法律でグローバル企業から町の商店までを縛ろうとするから無理がくる。労働基準法Aと労働基準法Bがあって、どちらを採用するか企業が決め、それを働く側が選択する。ガリガリのグローバル基準で働き高い報酬を得るのか、報酬は低くてもやりがいのある仕事をするのか。それこそまさに多様な働き方ではないだろうか。

悪夢のような「クリスマス急落」...来年、日本の株価はどうなるか これはとんだプレゼントだ…

現代ビジネスに12月26日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59171

2万円割り込む
とんだクリスマス・プレゼントとなった。12月25日の東京株式市場は、日経平均株価が急落、1010円安の1万9155円74銭となり、2万円台を大きく割り込んだ。前日のニューヨーク・ダウが653ドル安と大幅に下げた流れを引き継いだ。25日は年内に決裁される売買の最終日で、米国株安をきっかけに「損切り」売りを誘発した。

12月28日の大納会までに世界に広がる株安連鎖が落ち着きを取り戻すのかどうか、年末の終値がいくらになるのかが、大いに注目される。というのも、2018年の終値が前年の終値(2万2764円94銭)を下回ったとすると7年ぶりのこととなるからだ。四本足の年足チャートが7年ぶりの「陰線」になるわけだ。

第2次安倍晋三内閣が発足した2012年以降、年末の株価が6年間も上昇し続けてきたのだが、それが「変調」をきたすことになる。

7年連続の「陽線」になるか、7年ぶりに「陰線」になるかでは、相場のムードは大きく変わる。あと3日で2万2764円まで戻すのは現実的には難しいとみられ、「7年ぶりの陰線」がほぼ確実な情勢だ。7年ぶりの陰線となれば、これまでの上昇トレンドが終息する形になるわけで、2019年は株価にとって正念場の年になる。

株価あっての安倍政権
2008年秋のリーマンショックで6994円の大底を付けた日経平均株価はその後、戻し歩調だったが、円高とデフレの深刻化で再び軟調となり、第2次安倍政権発足前の2012年6月には8238円の安値を付けた。

それが安倍氏自民党総裁選任と歩調を合わせるかのように上昇基調となり、政権発足直後の2012年12月末は1万395円を付けた。それ以降、株価はほぼ右肩上がりに推移してきたことになる。

第2次以降の安倍内閣は、歴代内閣の中でも株価の動向を非常に気にかけてきた政権だ。2012年12月の衆議院総選挙で安倍自民党が大勝して政権を奪還できたのも、「経済」を最優先事項として打ち出し、株価の上昇が追い風になった。

民主党政権下で円高、デフレが進展し、株価が低迷していたことへの国民の「失望」が大きかったことも、安倍内閣への期待を高めた。

2013年に本格的に着手したアベノミクスが株価を押し上げた。3本の矢の「1本目」である大胆な金融緩和によって、それまでの円高が大きく修正されたことが、株価にとっても大きくプラスになった。

東京市場の売買の過半はドル資産などを運用する外国人投資家によるもので、為替の円高はマイナス、円安はプラスに働く。日本取引所グループ(JPX)が発表している投資部門別売買状況によると、2013年は「海外投資家」が日本株を15兆円も買い越した。

海外投資家の間で最も関心を呼んだのがアベノミクス3本の矢の「3本目」である民間投資を喚起する成長戦略である。「変わらないと思っていた日本が自ら構造改革しようとしている」点に海外投資家の関心は向いた。

生産性が低く、資本利益率(ROE)が国際水準からみて低水準の日本企業が、規制緩和をきっかけに成長を始めれば、日本経済は大きく変わる。そんな期待感が強まったのだ。

ところが、海外投資家の期待ははげる。アベノミクスの3本目の矢がなかなか飛ばなかったのである。2015年に小幅に売り越した海外投資家は2016年には3兆7000億円近くを売り越した。

働き方改革」を進めた2017年は日本の労働慣行などが変わるとの期待もあり、売り買いトントンだったが、2018年は再び大幅な売り越しになっている。12月14日段階で、5兆7000億円近く売り越されている。もちろん、アベノミクス開始以降、最大の売り越しである。

公的資金で支えてきたが…
実は、安倍内閣の幹部はしばしば米国のヘッジファンドなど機関投資家と面会してきた。官邸で正式に面会することは少ないが、夜の会食や朝食会などを開くこともある。

世界の投資家は安倍内閣が何をやろうとしているのか、日本は本当に変わるのか、虎視眈々と政治家の話を聞いてきた。

安倍内閣が海外投資家を大事にするのも、日本株を買い支えているのが海外投資家だからである。

もっとも、株価を意識してきた安倍政権には株価を支える他の術もあった。公的資金による日本株の取得である。当初はGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の年金マネーを、債券運用から株式運用へと大きくシフトした。また、郵便貯金や政府系官民ファンドなども株式投資を拡大している。さらに、日本銀行によるETF(上場投資信託)の購入が本格化した。

その「片鱗」が投資部門別売買状況の「信託銀行」に表れている。GPIFなど政府機関が株式を購入する際に、信託銀行を通すことが多いためだ。

2014年に2兆7000億円、2015年に2兆円、2016年に3兆2000億円を買い超していた。GPIFは資産運用割合の見直しで株式を大きく増やしたが、枠いっぱいにまで株式の割合が増えたこともあり、新規の株式購入余力はそれほど大きくないとみられる。

参院選に大きな影響
2017年の信託銀行は900億円ほどの小幅な買い越し、今年は1兆2000億円程度の買い越しになっている。

実際にどれだけ内閣の「期待」にそって株を買い支えているかは判然としないものの、こうした「公的資金」が株価の支えになっていることは間違いなさそうだ。

そんな「株価重視」の安倍内閣だけに、日経平均株価が「7年ぶり陰線」になる影響は小さくない。比較的高い支持率を得続けてきた安倍内閣の足下も揺らぐことになりそうだ。

選挙前に株価が大きく下がると、自民党候補や支持者から、「株価を上げないと選挙に勝てない」という声がこれまでも繰り返し上がってきた。来年7月の選挙に向けて、株価が再び上昇トレンドになるかどうかが、勝敗に影響を与える。

だが、来年の株価の先行きは楽観視できそうにない。世界的な景気悪化が懸念されているからだ。これまで好調だった米国景気も秋口にピークを超えたと言う見方が広がっている。

英国のEU欧州連合)からの離脱、いわゆる「ブレグジット」問題で欧州景気の悪化が懸念される。米中貿易戦争の余波もあり、世界経済全体の成長率は鈍化する見通しだ。

日本はといえば、足元の消費が芳しくない中で、さらに10月から消費増税を予定している。消費を支えてきた「インバウンド」にも変調の兆しが見えている。株式相場にはなかなかプラス材料が見当たらない。

景気の悪化がさらに鮮明になれば、日経平均株価の反転はそう簡単には望めないだろう。

ゴーン再逮捕!「特捜部」は本命「特別背任」を立証できるか

新潮社フォーサイトに12月21日にアップされた拙稿です。無料公開されています。オリジナルぺージ→https://www.fsight.jp/articles/-/44671

東京地検特捜部は身柄を勾留中だった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者を、12月21日に特別背任容疑で再々逮捕した。

ゴーン容疑者は金融商品取引法違反の有価証券虚偽記載罪で12月10日に再逮捕されており、12月20日が勾留期限だった。特捜部は金商法違反での10日間の勾留延長を請求していたが、20日に裁判所がそれを却下、ゴーン容疑者が保釈申請する見通しで、21日にも拘置所から出ることが予想された。特捜部が新たな容疑でゴーン容疑者を逮捕したことにより、当面、10日間の身柄拘束がされ、再度の勾留延長申請で、年明けまでゴーン容疑者は拘置所住まいを余儀なくされる見通しとなった。

胸三寸で「活用」できる罪状
特捜部の勾留延長請求を裁判所が認めなかったのは極めて異例だ。日本では容疑を否認する容疑者に対して再逮捕を繰り返し、長期にわたって取り調べを続けることが、普通に行われている。最近では森友学園による補助金詐欺容疑で、籠池泰典夫妻が約10カ月にわたって勾留された。

裁判所が延長を認めなかった理由は明らかではないが、有価証券虚偽記載罪での再逮捕と長期勾留に無理があると判断したのだろう。ゴーン容疑者は、本来は報酬として確定していたものを記載せず、報酬を低く見せていたとして、有価証券虚偽記載罪で11月19日に腹心の前代表取締役グレッグ・ケリー容疑者と共に逮捕された。もっとも、逮捕直後から、報酬の未記載を理由に身柄を取ったことに、かなりの無理があるとの指摘が司法関係者からも出ていた。

最初の逮捕と、その後の10日間の勾留延長については、金商法違反を突破口として使うのも致し方ない、というムードもあった。ところが勾留期限の12月10日に同じ容疑で再逮捕したことには、「危うさ」が見えた。そうでなくても日本型の司法のあり方について、国際的な批判が懸念されている。虚偽記載を記載年限で分割することで「別の事件」として再逮捕し、勾留を引き延ばしたことに、海外メディアなどは批判的な論調をとっていた。勾留延長に裁判所がNOを突き付けたのも、「ある意味当然」という声が出ている。

だが、突破口として特捜部が「有価証券報告書虚偽記載罪」を使ったことが、今後に大きな禍根を残すことになりそうだ。というのも、検察の胸三寸で「活用」できる罪状ということになってしまったからである。

明白な粉飾決算では事件化せず
この罪は、文字通り有価証券報告書に嘘の記載をする罪である。一見、形式犯のように思えるが、資本市場を使って資金調達をする上場企業などが、虚偽記載で投資家を欺くことを罰する法律で、経済犯罪としては「大罪」だ。

本来は粉飾決算などを想定しており、それによって投資家が大きな損害を被ることを避けることに目的がある。虚偽記載を行った経営者のみならず、企業も上場廃止などの処分を受けることになる。投資家を裏切る行為なので、市場から強制退場させられるわけだ。

今回、ゴーン容疑者の逮捕に当たって虚偽記載罪が使われたが、当初から資本市場関係者は首をひねっていた。退職後に支払われる報酬について、実際に決まっていたとしても、その決算期に記載しなければ日産の決算に大きな影響を与えたというわけではない。法の趣旨からすれば、虚偽記載を適用するには無理がある。企業会計の一部の専門家からも、虚偽記載罪でゴーン氏を有罪とするのには無理がある、という意見が出ていた。

実際、特捜部は、有価証券虚偽記載罪を「都合よく」利用している感がぬぐえない。戦後最大の粉飾決算事件だった東芝の会計不正では、証券取引等監視委員会佐渡賢一委員長(当時)が、明らかな粉飾決算なので監視委が刑事告発するから受理して事件化するよう繰り返し求めた。検察庁佐渡氏の古巣である。ところが東京地検は頑なに事件化は難しいとして、歴代社長は逮捕すらされなかった。

明白な粉飾決算では社長の身柄を取ることはせず、事件化もしない。一方で、「形式犯」に近い容疑にもかかわらず、現役経営者の身柄を取り、再逮捕までする。有価証券虚偽記載罪を自分たちに都合の良いように利用しているのではないか。そんな印象を受ける。

どうやら特捜部は、経済犯罪としての粉飾決算にはほとんど関心がないようだ。だからこそ、資本市場にとっては重要な法律である有価証券虚偽記載罪を、「形式犯」として事件の突破口に使ったのだろう。だが、こうして検察による「解釈の幅」が広がることで、今後ますます有価証券虚偽記載罪の適用は恣意的なものになっていくという懸念が強まる。大会社ならば粉飾決算しても検察は目をつぶる、そんな風潮が広がりかねないのだ。

あたかも虚偽記載が「形式犯」で「微罪」であるというムードが広がるのではないか、と気懸りだ。政治資金収支報告書は、繰り返されてきた政治とカネの問題に終止符を打つために導入されたが、しばしば「違反」が表面化する。決まって政治家は「記載ミス」で「修正した」と頭を下げるだけで問題は過ぎ去っていく。

東芝が不正会計問題を「粉飾」とは最後まで認めず、「不適切会計」という言葉を使い続けたのも、これと共通する。決算数字を操作する粉飾決算を、「ちょっとした間違いで不適切でした」ということで終わらせることにつながりかねない。

そういう意味では、裁判所が虚偽記載での勾留延長を認めなかったことで、東京地検が「本丸」とみられる特別背任容疑での再逮捕に踏み切ったことは、重要な一歩だろう。

とてつもなく大きな代償
だが、ここからも正念場が続く。虚偽記載という「形式犯」の立証は簡単だが、特別背任となると、会社に「意図的に」損害を与えたことを立証しなければならない。

特別背任での逮捕後の報道をみていると、『朝日新聞』が11月27日付朝刊1面でスクープした「疑惑」が、どうやら逮捕容疑となっている模様だ。リーマン・ショックでゴーン容疑者が私的に被った投資損失約18億5000万円を日産に付け替えたという内容で、取引を行った銀行が金融庁から繰り返し指摘を受けていた、というものだ。

だが、その後の別の報道においては、金融庁の指摘を受けて、実際には付け替えは実行されていなかった、という見方が出ているなど、本当にこれで特別背任を立証できるのか分からない。この不正は10年前で、本来ならば公訴時効の7年を過ぎているが、ゴーン容疑者の場合、国外にいる時間が長く、時効は成立していないのではないか。

付け替えが実際に行われていれば、特別背任は十分に成り立つ。おそらく、ゴーン容疑者本人が否定しても、ゴーン容疑者の「意図」を示す証言や物証は出てくるだろう。司法取引もあって会社側が全面協力しているわけだから、立証は難しくないはずだ。

だが、再逮捕での長期勾留に特捜部がこだわっていたところをみると、そうすんなり決着する問題ではなさそうだ。仮に、損失付け替えが立証できないとすると、その他に報道されている日産によるゴーン親族への報酬支払や海外住居の購入などだけでは、特別背任とするには「弱い」と思われる。

世界的な著名経営者を逮捕して長期勾留したうえで、世界が納得する罪で立件することができなかったとしたら、東京地検特捜部、いや日本の司法制度そのものが世界から嘲笑されることになる。それを機に日本の検察や司法制度が先進国並みに進化すればよい、と語る識者もいるが、そのためにはとてつもなく大きな代償を払うことになる。

公務員の給与が5年連続で増え続けるワケ 「定年の延長」も事実上決定

プレジデント・オンラインに12月19日にアップされた拙稿です。オリジナルぺージ→https://president.jp/articles/-/27011

庶民感覚では納得がいかない給与増

消費増税が迫る中、巨額の借金を抱えて財政難に陥っているハズの「国」の公務員の給与とボーナス(期末、勤勉手当)がまたしても引き上げられた。引き上げは5年連続である。11月28日に給与法改正案が与野党の賛成多数で可決され、成立。8月の人事院勧告にそって、2018年度の月給が平均で655円、率にして0.16%引き上げられるほか、ボーナスも0.05カ月増の年4.45カ月分になることが決まった。

増額分は4月にさかのぼって年明けから支給され、平均年収は3万1000円増の678万3000円になるという。人事院勧告は民間の動向を踏まえて毎年の賃金の増額率を決めている。「民間並み」と言うわけだが、どう考えても庶民感覚では納得がいかない。

本来なら人件費を含む歳出削減を行うべき
「我が国の債務残高はGDPの2倍を超えており、先進国の中で最悪の状況」だと財務省は言う。歳入(収入)よりも歳出(支出)が大きいのが原因で、本来なら、まずは人件費を含む歳出削減を行うのが筋だ。

ところが官僚たちは、自分の給料が毎年上がることについては「当然」だと思っているようだ。来年度予算では一般会計の総額が史上初めて100兆円を突破する見通しで、財政の肥大化が進む。まったく合理化で財政を引き締めようという気配は表れない。

「借金が増えているのは、政治家が悪いのであって、官僚に責任があるわけではない。給料は労働の対価なので、賃上げは当然だ」という声が上がる。

民間企業で働いている人たちからすれば、会社が大赤字になれば「賃上げは当然」などとは決して言えない。会社が潰れてしまえば元も子もないからだ。だが、公務員の場合、国が潰れるとは思っていない。つまり「親方日の丸」体質だから、賃上げは当然と思えるのだろう。

「定年の延長」も事実上決まっている
公務員については、もうひとつ驚くべき「計画」が進んでいる。定年の延長だ。現在60歳の定年を2021年から3年ごとに1歳づつ引き上げ、2033年に65歳にするというもの。人事院が意見として内閣と国会に申し入れているものだが、国民がいまいち関心を払っていないうちに、事実上決まっている。さらに60歳以上の給与については、50歳代後半の水準から3割程度減らすとしている。

民間では高齢者雇用安定法によって、定年後は希望する社員全員について65歳まで働けるようにすることを義務付けた。ただし対応策は3つあり、(1)65歳までの定年延長(2)65歳までの継続雇用(再雇用)制度の導入(3)定年制度の廃止のいずれかが求められている。定年を廃止するケースでは、給与は実力主義に変え、年功序列賃金を見直す場合が多い。

民間の対応で最も多いのが65歳までの継続雇用(再雇用)制度の導入で、定年になっても雇用されるものの、再雇用のためそれまでの条件が白紙になり、給与が激減することになる。

定年延長に合わせて年功序列の見直しを
霞が関が考えている公務員の定年延長は、再雇用ではなく、定年の延長。ただし、それだと年功序列の賃金体系では給与が増え続けてしまうので、50歳代後半の7割にする、というのである。これが「民間並み」の制度見直しなのだろうか。

公務員の定年が伸びるに従って、公務員の人件費総額は増え続けることになる。2018年度予算での公務員の人件費は5兆2477億円。これに国会議員歳費や義務教育費の国庫負担金などを合わせた人件費総額は8兆円を超えている。

人件費が膨らむ問題もあるが、高齢者が官僚組織に居残ることになり、それでなくても高齢化が指摘されている官僚機構での、若手の活躍の場を失わせることになる。本来ならば、定年延長に合わせて年功序列の昇進昇給制度を見直し、若くても重要ポストに抜擢できるようにすべきだろう。

身分保障で守られている国家公務員の世界で抜擢を行うためには、成績を上げられない官僚の「降格」制度を作るしかない。だが、日本の今の制度では、官僚の降格はまず不可能だ。いったん、昇格したら定年まで給料が減らないのが公務員の世界である。

給与水準に「高過ぎる」「安過ぎる」は不毛
国家公務員の給与水準について「高過ぎる」「安過ぎる」といった議論は不毛だ。人事院は公務員の給与を決めるに当たって、「民間企業従業員の給与水準と均衡させること」を基準にしている。だが、しばしば指摘されるように「民間」といっても「企業規模50人以上かつ事業所規模50人以上の事業所」を比較対象にしている。中小零細企業はもともと相手にしていないわけだ。

給与水準は職種や仕事の内容によって大きく差があり、どの数字を使うかでまったく姿が変わる。国税庁民間給与実態統計調査では2017年の平均給与は432万円ということになっているので、これと比べれば公務員給与は200万円以上も高い、という話になってしまう。

問題は、労働の対価として適正かどうか、という観点でみるべきだろう。中央官庁の官僚は給与に見合った働きをしているか、それだけの時間とコストを費やすべき仕事をやっているか、ということだ。

本当に「税金を使って」やるべき仕事か
中央官庁の場合、幹部官僚にとっての「成果」は新しい仕事を作ること。法律を通して事業を行うわけだが、いったん出来上がった仕事はなかなか見直されない。実際の内容はほぼ同じなのに名前を変えて事業を続けるということはあるが、過去からの事業を廃止するということは滅多にやらない。それをやると、予算と人員が減らされることになるからだ。課長としての能力は「いかに予算を取って来るか」であって、「いかに効率化したか」ではない。よって、中央官庁の仕事はどんどん膨らみ、官僚たちは日々、忙しく働いている。

だが、それが本当に「税金を使って」やるべき仕事なのか、という検証はなかなかされない。

基本的に官僚機構の仕事は「付加価値」を生まない。あるいは付加価値がごく小さいものだ。付加価値を生む事業だったら、さっさと民間に任せればよい。それが規制改革による民営化の原点だ。だが、ともすると、官僚機構は「公益性」の名前の下で、本来は民間ができることまで官僚機構でやろうとする。

産業革新投資機構の問題も根は同じ
経済産業省との対立が表面化した官民ファンド、「産業革新投資機構(JIC)」の問題もそこにある。経産省が「世界レベルの政府系リスクキャピタル投資機関を作る」という理念を打ち出し、それに賛同した日本を代表する金融人、経営者、学者が経営に参画して発足した。

ところが発足から2カ月あまりで、JICの取締役11人中、経産省財務省の出身者2人を除く民間人9人が一斉に辞意を表明する事態に陥った。

きっかけは給与。成功報酬を含めて1億円を超す報酬体系を決め、世界に通用する人材を雇ったものの、「JICは国の資産を運用する機関で、高額報酬は国民の理解を得られない」という経産省が報酬案を白紙撤回、それに怒った民間取締役が辞表をたたきつけたというわけだ。

参画した社外取締役の経営者たちは、日本政府がリスクマネーを供給してイノベーションを起こす仕組みが作れる、と期待を寄せたようだが、経産省にはしごを外される結果になった。これも、どこまで「官」は口をはさみ手を出すべきなのか、官僚機構の基本的なあり方が定まっていない、ということなのだろう。

国民全体が「国への依存」を強めている
ともかく官僚機構が民間のやるべき分野にまで口を出し、人を送り込み、カネも出す、というのが今の日本。民営化したはずの日本郵政にしても、事故で事実上破たんした東京電力にしても、事実上国が過半の株式を保有する。「国の機関」化が進んでいる。

官僚機構が肥大化し、その人件費が膨らめば、最終的には国民がそれを負担することになる。5年連続で公務員給与が増えても、ほとんど大きな批判も反発も起きなくなった。そんな日本では、国民全体が「国への依存」を強めているように見えてならない。国からのおカネに頼る組織や企業、個人が増えていくということは、「タックスイーター」が増殖していることに他ならない。誰が「タックスぺイヤー」としてこの国の将来を担っていくのか。そろそろ真剣に考える時だろう。

「ふるさと納税」を「寄付」を考えるきっかけに 12月を「Giving December」にする取り組みも始動

現代ビジネスに12月21日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/122000091/

総務省が7自治体を“やり玉”に
 今年もふるさと納税の締め切りが迫っている。今年の所得税や来年の住民税の控除に間に合わせるには、12月31日までに当該自治体への「入金」が完了しなければならない。ふるさとチョイスなど専用サイトからならば12月31日まで可能なところが多いが、金融機関から振り込む場合には営業日が12月28日までなので注意が必要だ。1分でも遅れれば来年以降の控除ということになってしまう。

 総務省が発表している「ふるさと納税に関する現況調査」によると、2017年度にふるさと納税の仕組みを使った寄付金の総額は3653億円。前年度の2844億円から3割増え、制度ができた2008年以降最多となった。2013年度は145億円にすぎなかったものが、確定申告がいらない「ワンストップ制度」が始まったことや、地域が創意工夫を凝らした「返礼品」を用意したことで、一気に寄付額が増えた。

 そんな人気沸騰中のふるさと納税に、総務省が横やりを入れているのはご承知の通り。2017年4月と2018年4月に大臣通達を出して、返礼品について「換金性の高いものの禁止」や「金券の禁止」、「地場産品に限ること」、「返礼品の調達金額を寄付額の3割以下に抑えること」などを求めた。2018年9月に、野田聖子総務相(当時)が、制度の見直しを表明。総務省の自粛要請に従わない自治体については、控除の対象から外すとした。

 自民党税調などもこれを了承、2019年6月1日以降、従わない自治体をふるさと納税制度の対象から外し、その自治体に寄付しても税金から控除できなくなる。強権で自治体をねじ伏せる結果になるわけだ。

 総務省は9月時点で、「返礼品調達額が寄付額の3割以下」という基準に“違反”している自治体が246、「返礼品は地場産品に限る」という基準に“違反”していた自治体が190あると公表していた。こうした自治体は、「対象から外す」と脅されたことで、返礼品の見直しを行い、11月1日時点で前者が25、後者が73に減った。お上のご意向には逆らえない、というわけだ。

 両方の基準を守っていない自治体として7自治体がやり玉に挙げられた。2017年度の寄付額実績で135億円を集めた大阪府泉佐野市や、新潟県三条市宮城県多賀城市和歌山県高野町、福岡県福智町、福岡県上毛町沖縄県多良間村である。泉佐野市や三条市は、総務省の一方的な指弾に反発。当初は制度が見直されても従来通りの返礼品を続ける姿勢を見せていたが、総務省が本気で対象外とする意向を示しているため、2019年6月までに、しぶしぶながらも見直しを行うのではないかと見られている。

ふるさと納税は、地方の「創意工夫」の一つ
 もちろん、過度の返礼品競争には批判もある。返礼品につられて寄付をするのは、本来の寄付ではないから税金の控除対象にするのはおかしいという識者もいる。一部の自治体が高額の返礼品を出してごっそり寄付を持って行ってしまうので、自分の自治体には寄付が来ない、という自治体の声も聞かれる。東京都など税金が「流出」する一方の自治体は、そもそもふるさと納税制度に反対している。

 だが、この制度によって、自治体が大きく変わったのも事実だ。これまで自治体が収入を増やそうと思えば、中央から降って来る地方交付税交付金を増やしてもらえるよう、総務省の言うことを聞くのがせいぜいだった。あるいは、国が設けた補助金助成金を獲得するために、地元選出の国会議員や総務省に陳情して歩くぐらいしかできなかったのだ。

 それが、ふるさと納税制度ができて、自分たちの魅力をアピールすることで、税収(寄付)を増やすことができる道ができたのである。地元の特産品をアピールしたり、観光地としての魅力をアピールするために、「返礼品」をそろえ、納税者の心をくすぐった。泉佐野市がネットショップ張りのふるさと納税サイトを作り、ポイント制度などを導入して人気を博したのも、そんな創意工夫の一つだった。実際の地域からの税収を、ふるさと納税が上回るケースも相次いでいる。

 もう一つ、自治体の首長や職員にとって大きなメリットがある。予算は議会の承認を得なければ一銭も支出できない。自治体が産業振興目的で助成金などを出そうとした場合、議会が同意しなければ何もできない。

 ところが、ふるさと納税は使途を明示するなどして「寄付」を募ることが可能なので、首長や職員がやりたかったことを世の中に問いかけ、それを実現することができるのだ。首長や職員にとっては、自分たちの創意工夫を発揮するチャンスができたのである。

 議会の「意思」による予算配分は必ずしも住民のニーズに沿っているとは限らない。政治力のある議員の声が政策に反映されるのが普通だ。ところが、ふるさと納税にひもづけされた事業ならば、納税者(寄付者)の意思がきちんと反映される。ふるさと納税は非常に「民主的な」仕組みとも言えるのだ。

 さらに重要な事がある。ふるさと納税は、納税(寄付)する側の意識を変えることにも成功しつつあるのだ。最初は返礼品が目当てで寄付をしたものが、出会った自治体への共感が生まれ、ファンになっていく。最終的には返礼品だけが狙いではなくなっていくケースが増えているのだ。

 また、自治体の中には、返礼品を出さないでプロジェクトに賛同してくれる人たちに呼び掛ける「ガバメントクラウドファンディング」も広がっている。これは行政の事業に「共感」した納税者が資金提供するわけで、自分の税金の一部を自分の意思に合った事業に回す、税金使途の明示に当たる。まさに、民主主義を実現する一歩、ともいえるわけだ。

ふるさと納税は、災害への善意の寄付も後押し
 日本には「寄付」という文化が根付かない、としばしば語られる。寄付税制が貧弱だから、寄付が増えない、という声もある。

 だが、それは本当だろうか。

 東日本大震災などの大きな災害を機に、善意の資金を寄せる人たちが急増した。その背中を押しているのが「ふるさと納税」である。ふるさと納税は、当初は税金の「付け替え」というアイデアから始まったが、それを「寄付」の枠組みを使うことで実現した。その結果、「寄付」のハードルが大きく下がったとみていいだろう。

 ふるさと納税のワンストップ制度を使えば、確定申告なしに「寄付」の税金控除の手続きができる。しばしば、ふるさと納税には「上限」があるとされるが、これは自分の住民税から控除され、実質的に数千円の負担だけで「寄付」できる額のこと。それを超えて寄付しても自己負担額が増加するだけで、まったく税制上のメリットがなくなるわけではない。

 ふるさと納税による寄付の総額と、税金の控除額の合計には大きな差ができ始めている。つまり、「上限」を超えて寄付している人がたくさんいる、ということなのだ。着実に日本に寄付文化が根付き始めているとみていいだろう。

 自治体によっては、ふるさと納税の枠組みを使って、被災自治体の代わりにいったん寄付を受け付け、手続きなどを「代行」して、最終的には被災自治体に届けるという寄付の仕組みを作りだしたところもある。これも厳密にいえば、総務省が言うところの「ふるさと納税の本当の狙い」からは外れた活用方法ということになるだろう。だが、そうした工夫を生んだことにこそ、大きな意味があるのではないか。

 日本では12月を「寄付月間 Giving December」と名付け、寄付について考えたり、寄付を実行したりする月にしようという運動が始まっている。「締め切り」が迫るふるさと納税の返礼品を選ぶ際に、「寄付」について思いを巡らすのもひとつの社会貢献と言えるだろう。

訪日外国人3000万人突破でも喜べない「いくつかの事情

現代ビジネスに12月20日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59074



政府が12月18日に、2018年の年初からの訪日外国人が3000万人を突破したと発表した。前年の2017年は2869万人だった。初めて1000万人を超えたのが2013年で、それからわずか5年で3倍になった。

2012年末に第2次安倍晋三内閣が発足してアベノミクスを開始。大幅な円安になったことで、日本旅行ブームに火が付いた。ビザの発給要件の緩和や、格安航空会社(LCC)の就航などが追い風になった。政府は、東京オリンピックパラリンピックが開かれる2020年に4000万人を目指している。

メディアは訪日外国人が増加したことで、様々な弊害が生じていることを報じている。「オーバーツーリズム」「観光公害」という言葉を使って、観光客増加の負の側面を指摘するメディアもある。

確かに、一気に外国人観光客が増えたことで、一部の観光地で乱開発が始まったり、観光客のモラルが問われる問題が生じている。京都では町家が買収されてホテルに変わるなど、「観光資源」であるはずの町の景観が急速に変わっている場所もある。

だが一方で、日本経済が観光客が落とすおカネに支えられるようになってきたのも事実だ。消費増税だけでなく、高齢化による人口構成の変化もあって、国内消費は停滞が続いている。デフレがそれに拍車をかけてきたが、実際、日本の人口は2008年をピークに減少に転じており、消費総額が伸びないのは当然のこととも言える。

そんな中で、2013年以降に急増した訪日外国人による消費が大きな支えになりつつあるのだ。訪日外国人の消費額は正確には分からないが、観光庁の「訪日外国人消費動向調査」では、4兆円以上と推計している。

家計最終消費支出はざっと300兆円なので、それと比べると4兆円はまだまだ小さいように見えるが、観光産業が潤うことによる波及効果は非常に大きい。

また、都市部の百貨店や、観光地の小売店などでは、外国人観光客が落とすおカネが大きな割合を占めるようになっているところも少なくない。

大手百貨店の高島屋では2018年2月期決算で、大阪店が1951年以来の「1番店」に帰り咲いたが、これは観光客による免税売上高が伸びたため。

大阪店の年間売上高1414億円のうち、同店の免税売上高は240億円に達した。何と売り上げの17%である。実際には免税手続きをしないで外国人観光客が買うものもあり、実態は2割を超える売り上げを外国人が支えているとみられる。


円高リスクの恐怖
もはや、日本にとっての最大のリスクは、この「インバウンド消費」が消滅することだ。外国人観光客が増えたことによる弊害を嘆くのは、しょせん「嬉しい悲鳴」で、本当に大変なのは、訪日外国人が減る事態である。

これだけ増加している外国人観光客が減るはずがない、と思うのは早計だ。

最も可能性のあるリスクは円高である。今の日本旅行ブームが始まったきっかけは、間違いなく円安だった。自国通貨高によって外国人旅行者が日本で買うものを「安い」と感じたのだ。

典型は、欧米の高級ブランド品の価格が為替のマジックによってバーゲンセールになった。日本が円高時に仕入れた高級ブランド品が、円安自国通貨高で外国人にとってはモーレツに安く買えたのである。これが「爆買い」に結びついた。

その後も円安水準が続いたため、高級ブランド品の輸入コストが上昇。かつてほど日本で買っても安くなくなった。それが「爆買い」が一巡した要因だ。

その消費が日本製の商品に向いているのが現在だ。化粧品や健康食品などに「爆買い」の対象が移っている。日本製の「良いものが安い」ところに外国人が注目しているわけだ。

何せ日本は20年にわたるデフレで、価格破壊が進んだ。モノだけでなく、高級な飲食や宿泊などが、世界標準から比べれば驚くほど安い。しかも、日本のおもてなしは世界一である。

つまり、現状の訪日観光客の増加は、まだまだ「安い」ことが動機になっている。逆に言えば、為替が動いて「高く」なれば、一気にやってくる人が減ってしまうリスクを抱えているのだ。

まだある、中国リスク
もう1つは政治的なリスクである。日本にやって来る外国人で最も多いのが中国人だ。ざっと3割が中国本土からやってくる。直近のピークだった2018年7月は、訪日外国人283万人のうち約88万人が中国本土からだった。

この、「中国依存」は大きなリスクだ。中国政府が日本への渡航を自粛するよう求めたとたん、訪日客が激減する可能性がある。実際、過去にそうした例がある。

尖閣諸島を巡って東京都が購入していたのを受けて日本政府が乗り出し、国有化に合意した2012年9月以降、中国政府は民間交流の訪日団の渡航中止や旅行者の自粛などに踏み切った。その結果、2012年7月に過去最多の20万4270人だった中国本土からの訪日客は、わずが4カ月後の11月には5万1993人まで激減した。

当時はまだ中国からの訪日客自体が多くなかったが、今は全く違う。日中関係の悪化などで、中国からの訪日客が来なくなれば、一気に日本経済が揺らぐ可能性があるのだ。

3000万人を超えたことに注目が行きがちだが、実際には、伸び率が小さくなり、頭打ちが懸念されている。9月の訪日外国人は5年8カ月ぶりに対前年同月比でマイナスになった。

これは台風や地震による空港閉鎖などの影響が大きいとみられるが、今年に入って全体の訪日客の伸び率が鈍化しているのも事実だ。再び増加ピッチが増えるのかどうか、注目すべきだろう。

都市部や主要観光地のホテルが不足するなど、受け入れのためのインフラ整備が追い付いていないことも一因だ。2020年にはオリンピック特需もあり4000万人達成は難しくないとみられるが、その後も観光客が増え続けるかどうかは、本当の意味での観光政策を取れるかどうかがカギを握る。

つまり、「安い」から来るのではなく、日本が「面白い」から来るという観光客をどれだけ増やせるか、だ。日本に来る観光客はリピーターが増加、買い物だけでなく、日本文化に触れたい、経験したいという人たちが増えている。そうしたニーズに応えられる観光資源開発を怠れば、割安感が消えた瞬間、観光客が激減することになりかねない。