「ゾンビ企業退治」を狙うアベノミクス 国の競争力強化に必要な、企業の健全な新陳代謝

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 安倍晋三首相が掲げる経済政策、いわゆるアベノミクスの「3本目の矢」が狙う的が見えてきた。

 3本目の矢として「民間投資を喚起する成長戦略」の策定を急ぐ産業競争力会議(議長・安倍首相)が取り上げる「重要事項」が固まり、全体会議とは別に「テーマ別会合」が設けられたのだ。重要事項の決定に際しては民間議員の意見に加えて「総理指示」が大きくモノを言った。

 テーマとして掲げられた「重要事項」は7つ。「産業の新陳代謝の促進」「人材力強化・雇用制度改革」「立地競争力の強化」「クリーン・経済的なエネルギー需給実現」「健康長寿社会の実現」「農業輸出拡大・競争力強化」「科学技術イノベーション・ITの強化」である。

 これまでの政権も繰り返し成長戦略を描いており、今回、産業競争力会議が打ち出した7つの中にも共通するテーマが少なくない。だが、「産業新陳代謝」と「農業輸出拡大」はどうやらアベノミクスならではの、新機軸になりそうだ。

「戦える農業」作り出す戦略
 農業輸出拡大は安倍首相が推進したい「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」への交渉参加と対をなす政策と考えていい。「TPPで大打撃を被る」と主張する農業団体を中心とした批判を抑え込み、TPPをむしろ活用して「戦える農業」を作り出そうという戦略だ。この農業の競争力強化策については、別途詳しく取り上げたい。

 今回は産業競争力会議が「重要事項」として真っ先に掲げた「産業新陳代謝」に注目したい。新陳代謝とは要するに、役割を終えた企業・産業の退場を促進して、新しい企業・産業を生み出そうということだ。もちろん、これまでの成長戦略でも「新産業の育成」は常に課題として掲げられてきた。だが、「役割を終えた企業の退場」を政策として真正面から取り上げようというのは、おそらく初めての試みだろう。

 産業競争力会議が、役割を終えた企業の退場を取り上げたのには理由がある。弱い企業が銀行の追加融資や政府の補助金などで生き残ることによって、強い企業の足を引っ張り、その産業の日本としての競争力を損なっている、という思いが民間議員の中にあるためだ。産業政策を担ってきた経済産業省もかねてから、同一産業内に多くの企業が存在することで、国内での消耗戦が起き、日本企業は低収益に喘いでいると分析してきた。主要製品で1社に集約した韓国などに競争力で劣ってしまった、というのだ。

 もっとも、経産省の場合、その対応策として、官が主導して企業の合従連衡を促すことや、重点産業を決めてそこに補助金などを集中投下することを求めてきた。実際、円高立地補助金などの形で、それは実行されてきた。アベノミクスでも当初打ち出された「ターゲティング・ポリシー」という言葉には、この経産省流の産業政策が色濃く反映されている。かつて高度経済成長期に重点産業にヒト・モノ・カネを集中投下した「傾斜生産方式」を彷彿とさせるものだ。

 だが、今回の産業競争力会議が打ち出そうとしている対策は大きく違う。

 テーマ別会議で主査を務める経団連副会長の坂根正弘コマツ会長が、1月23日に開かれた1回目の全体会議で配布した文書に、それは明確に表れている。その文書にはこう書かれていた。

 「新規分野も大事だが、これに過度な期待をかけても国を支える規模には容易にはならない。まずは勝ち組もしくは近い将来勝ち組になるポテンシャルを持つ既存分野に重点投資すべき。ただし、弱者救済し、強者を蝕むゾンビ企業の創出にならないように注意」

 つまり、「弱い企業を救済してゾンビ企業を生むな」「強い企業をより強くしなければ日本を支えることはできない」と主張しているのだ。これは従来の政策に対する痛烈な批判とも言える。

中小企業金融円滑化法廃止で4〜5万社が倒産?
 というのも民主党政権下では明らかに、弱い企業の救済に力を入れた結果、ゾンビ企業の量産につながった。その典型例が金融相として亀井静香氏が半ば強引に導入した「中小企業等金融円滑化法」いわゆる「金融モラトリアム法」だ。これによって倒産件数は激減。かつての好景気時よりも倒産が少ない状態になった。不況の中で金融によって倒産をさせないのは、生命維持装置を付けて命だけ永らえさせているのと変わらない。今年の3月末にようやくこの時限立法は廃止されるが、政府の推計では、何の手も打たなければ4〜5万社がいっぺんに倒産するとしている。逆に言えば、4〜5万社のゾンビ企業を量産したわけだ。

 事態は大手企業でも似ている。半導体大手ルネサスエレクトロニクスの救済がもう1つの典型例だろう。第三者割当増資で筆頭株主になったのは、官民ファンドの「産業革新機構」。官民と言っても大半は国が出資する。そこがさらに大半を出資したわけだから、ルネサスは事実上「国有企業」になったに等しい。半導体は産業を支える重点産業だというのが、救済劇を主導した経産省の主張だ。

 2009年には半導体大手エルピーダメモリ公的資金が注入されたが、結局は経営破たんして米国の半導体メーカーに買収された。その二の舞になるとの懸念が強い。

 産業新陳代謝の議論は「敗者は退場させる」という当たり前の競争の規律を取り戻そうとしているだけだ、とも言える。だが、ここまで規律が緩んだ日本で、どうやってゾンビ企業に退場を求めるのか。

 3月6日に開いた産業新陳代謝のテーマ別会合では、倒産法制の見直しが議論された。ドイツやスイスなど欧州では、企業の資金繰りが悪化し債務超過となると基本的に倒産企業として法的処理される。債務超過を回避するために増資の引き受け手が現れなければ倒産するのだ。これに対して日本の場合、企業が債務超過になっても、銀行が資金繰りを支えていれば持ちこたえる。つまりゾンビ企業化するわけである。これを退場ルールである倒産法の改正で規律を働かせられないか、というわけだ。

 おそらくこれには異論が出るだろう。とくに銀行界は反発するに違いない。銀行が企業の生殺与奪の権を握っている現状を変えることになるからだ。銀行は企業に融資する一方で、企業の株式も保有、大株主となっているケースが多い。企業経営が傾いた時に、銀行は融資債権を守るために株主としての権利を行使することになりかねない。つまり債権者としての立場と株主としての立場が利益相反を起こすのだ。これは東京電力オリンパスの経営危機の際にも明らかになった。

 おそらく、この矛盾を断ち切るには、銀行による株式保有を全面的に禁止する以外にないだろう。米国では、1929年の大恐慌を機に1933年に制定したグラス・スティーガル法によって銀行による事業会社の株式保有は禁止されてきた。また、ドイツも銀行が企業の株を保有する「ドイツ型持ち合い」が長年続いてきたが、これも2000年以降大きく崩れた。日本は依然として企業への銀行支配が続いていると見ることもできる。一方で、現在は5%に制限されている銀行の株式保有を「規制緩和」の名の下に緩めようという動きすらある。

 ゾンビ企業を支えているのは銀行だけでない。政府も同じだ。ルネサスを救済した「産業革新機構」と同様のいわゆる「官民ファンド」が次々と誕生している。相次いで設立される「官民ファンド」は民主党政権時代に財務省が主導して構想が練られたもので、本来はアベノミクスで出てきたものではない。だが、「3本目の矢」のタイトルが「民間投資を喚起する成長戦略」となったことで、一気にアベノミクスの柱としてお墨付きを得た。もちろん、現在のデフレは異常事態なので、景気に火を付けるには「国のカネが必要」という主張は理解できる。「従来型の補助金のバラマキを正したい」という財務省の思いも分かる。だが、「国のカネ」が入ることで競争が歪む事態は避けなければならない。

官民ファンドは情報開示を徹底せよ
 それを避けるための方法は、官民ファンドの徹底した情報開示だろう。官民ファンドは株式会社形式をとっているため、しばしば「民間企業だ」という逃げ口上が使われる。大半の出資を国のカネ、つまり国民のカネが占めているにもかかわらず、国会への情報開示などが疎かなのだ。

 国の資金が入っている以上、一般の上場企業よりも厳しい情報開示が求められる。例えば、官民ファンドや投資先企業と、霞が関の関係だ。上場企業の情報開示で言えば「関連当事者取り引き」ということになる。国からの天下りや現役出向の状況、報酬などの情報、投資先企業への補助金の有無などを開示しなければ、公正な競争は担保できない。また、官民ファンドや投資先企業と政治家の関係も開示すべきだろう。企業側に政治献金の有無や金額を公表させるのだ。さもなければ、ゾンビ企業が政治献金などをばら撒くことで政府ファンドからの出資を得る、ということが起きかねない。

 産業競争力会議がどこまで「産業新陳代謝」を打ち出すことができるか。「新事業育成」と言っているうちはどこからも異論は出ない。基本的には補助金をもらったり、税の減免を受けるなどメリットを享受する話だからだ。だが、「ゾンビ企業の退出」となった場合、状況は一変する。これまで受けてきた銀行や国による支援を剥ぎ取られる企業や産業が出てくるからだ。同じ産業界にも反対勢力がいるわけだ。「弱者切り捨てを許すな」といった反対論が出てくることは火を見るより明らかだ。

 産業競争力会議はどこまでそれを貫き通すことができるのか。アベノミクスの真価が問われることになる。